【無署名論文】原水爆禁止運動の根本問題/いまなぜ歴史的解明が必要か

赤旗』(1984年)4月4日,5日付に掲載された論文「統一の路線と分裂の路線 - 原水爆禁止運動30年の経験と教訓」(以下「論文」と略す)は原水禁運動に参加している広範な人びとのあいだで大きな関心と積極的反響をよびおこしている.『赤旗』紙上でも各界各分野の多くの関係者の「論文」に対する共感の談話が掲載された. これは今回の「論文」が日本の原水爆禁止運動30年をめぐる最大の問題点として統一の路線と分裂の路線についての歴史的解明をおこない,わが国の原水禁運動がひきつづき解決を迫られている根本問題としての分裂問題の基本とその責任の所在をあきらかにしたことの重要な意義を,あらためて裏づけるものである


同時に一方で,この「論文」にしめされた一部の反応のなかには,原水禁運動の分裂の歴史がすでに約20年にもなり,また77年の国民的大統一組織実現の「合意」から7年もたつことから,'いまなぜ過去の問題をとりあげたのか'といった疑問もある. そこでこうした疑問にこたえながら,原水禁運動30年の歴史的解明を必要とした理由について,あらためてあきらかにしたい



過去の問題ではない


いまなぜ原水爆禁止運動30年の歴史的解明が必要なのか. それは,今日,米ソを中心とした核軍拡競争の激化,日本の核戦場化の危険の増大が,日本国民の不安と怒りをたかめ,核戦争阻止,核兵器全面禁止,被爆者援護をめざすわが国原水禁運動の統一的発展を切実にもとめているにもかかわらず,20年前に総評,社会党指導部らによってひきおこされた原水禁運動の分裂が,今日もなお未決着のまま残されており,これが,反核平和の国民的エネルギーを真に幅広く日常的に結集し,原水禁運動を正しく発展させるうえで,最大の障害となっているからである


「論文」があきらかにしているように,わが国の原水爆禁止運動は,30年前,あのビキニ環礁での米水爆実験による第五福竜丸の被災を契機に,運動の国民的な統一の流れをつくりだし,その恒常的共同組織として,日本原水協(原水爆禁止日本協議会)が生まれた. 政治的見解や思想,信条の違いを越えて,核戦争阻止,核兵器全面禁止,被爆者援護という基本目標で一致するもっとも広範な人びとを結集する国民的統一組織体としての日本原水協の結成は,まさに被爆国日本の原水禁運動の責務にふさわしく,統一の路線を体現した真に国民的な運動への画期となった


ところがこれにたいして,20年前,総評社会党の指導者らは,みずからも参加していたこの国民的統一組織=日本原水協のなかで,統一の路線をふみにじって「いかなる国の核実験にも反対」や「部分的核実験停止条約(部分核停条約)支持」などの自己の特定の政治的立場を全体におしつけようとし,それがうけいれられないとなると,日本原水協から脱退して対抗的,分裂的に「原水爆禁止国民会議」と称する分裂組織をつくった. このことによって,原水禁運動の国民的統一は破壊された. しかも,あとでのべるように,1977年にいったんは一致した原水禁運動の国民的組織統一実現の「合意」がホゴにされたのも,基本的にこの同じ勢力による分裂路線のせいであった. したがって原水禁運動の組織統一の回復を問題にするとき,原水禁運動のこうした歴史的経過について検討しないわけにはいかない


「論文」でも指摘したように,分裂の歴史が20年になるからといって,それはけっして過ぎ去った問題ではなく「古くてしかも新しい問題」である. 20年来の分裂問題が解決されておらず,組織的統一が実現していないという問題こそ,わが国の原水禁運動の根本問題であり,原水禁運動の真の統一的発展のためには,この根本問題の解決を避けてとおることはできない.「論文」が原水禁運動30年の歴史をふりかえり,その最大の問題点として,統一の路線と分裂の路線について歴史的解明をおこない,分裂問題の本質とその責任の所在をあきらかにしたのは,このためである



77年「合意」は国民への公約


いまなぜ歴史的解明が必要かという第一の理由は,20年来の分裂問題に決着をつけ真の統一の実現にむけて前進するためには,1977年の国民的大統一組織実現の「合意」の立場にたって,統一の路線にもとづく真の組織統一回復を積極的,攻勢的に追求することが不可欠だからである


この点に関連して,一部には'77年に過去の行き掛かりを乗り越えて結集し,それ以来統一世界大会も一緒にやっている以上,いまさら過去を蒸し返しても展望は出ない'といった意見もある


しかし「論文」でも解明したように,77年「合意」で約束された統一の事業の中心的課題は,過去の分裂の克服の方向にたっての国民的大統一組織の実現という点にこそあったのであり,それを前提とし,この組織統一の事業と一体のものとして,77年の統一世界大会が統一実行委員会の主導によっておこなわれることになったのである. この点をあきらかにするために,1977年の一連の「合意」「申し合わせ」の内容,ならびにそれに至る経過を,いまいちど見ておこう


1976年9月20日に,日本共産党が主催してひらいた'開かれた懇談会'で,宮本委員長(当時)は「原水禁運動の統一問題打開のための努力をつづける」と明言,出席していた富塚総評事務局長(当時)も「今年は原水禁運動の統一実現のため努力したい」とのべてこれにこたえたことから,原水禁運動の組織統一に向けての合意形成の重要なきっかけがつくられた


こうして翌77年3月17日,日本共産党と総評とのあいだで成立をみた合意は「核兵器全面禁止,被爆者援護など基本目標を中心に一致する課題で団結し運動を発展させる」として原水禁運動統一の政治的方向をしめしたあと「原水爆禁止運動の発展のため過去の行き掛かりを乗り越え,より高い見地にたってより広い階層の人びとを結集する新しい統一組織体をつくることをめざし,具体的方策をすみやかに検討する」と,新しい統一組織体づくりを明確にうちだした. この画期的な合意をうけて,77年5月19日には日本原水協理事長・草野信男,原水爆禁止国民会議代表委員・森滝市郎氏のあいだで統一の合意ができ(いわゆる「5・19合意」)


(1)77年8月の大会は統一世界大会として開催する


(2)国連軍縮特別総会にむけて,統一代表団をおくる


(3)年内をめどに,国民的大統一組織を実現する


(4)以上の目的を達成するために広範な国民世論を結集しうるような統一実行委員会をつくる


(5)原水禁運動の原点にかえり,核兵器絶対否定の道をともに歩むことを決意する

などを確認した. そしてこの「合意」にもとづいて同年6月13日には「原水爆禁止統一実行委員会」がつくられその設置にあたっての「申し合わせ」のなかで


(1)ことし8月の大会は統一世界大会として開催する


(2)国連軍縮特別総会にむけて統一代表団を送る


(3)年内をめどに国民的大統一の組織を実現する

という三つの統一の事業を明確にかかげた


原水禁運動の分裂の歴史に終止符をうって国民的大統一組織を実現するとの「合意」と「申し合わせ」は,当時,各方面から熱烈な歓迎をうけた. すでに日本共産党と総評の合意のあと,地婦連日青協は連名で「『より広い階層の人びとを結集する新しい統一組織体をつくることをめざす』という動きを,日本の原水禁運動の新たな前進として心から歓迎するとともに,すべての組織を含めて全国民を結集できるような原水禁運動の統一実現のために積極的に努力することを表明する」と声明した(同年4月9日). 両団体はさらに「5・19合意」の翌日「今回の原水禁原水協との運動統一への『合意』は,永年,原水禁運動にかかわってきた私たちをおおいに励ますものであります」「原水爆禁止運動の統一は,全国民の悲願であり,今回の『合意書』の内容を決して後退させることなく…関係者の一層の努力を期待するものであります」との共同見解を公表した. また,被団協(日本原水爆被害者団体協議会)は同年6月13日の声明で「被爆国日本の国民の統一を願う熱望のもとに原水禁運動統一の歩みが始まり…こうした背景の中で5月19日には5・19合意書が発表されるに至りました. 私たちはこれを起点として,核兵器廃絶,被爆者援護を願う広範な人々が一つになりうるような新しい国民的原水爆禁止運動が起こることを心から熱望するものであります」と訴えた. 中立労連の岡村恵事務局長(当時)も『赤旗』に「5・19合意」歓迎の談話を寄せた


一方,一般紙もこぞって賛意を表する社説をかかげた


『ことし8月の大会は統一世界大会として開催する』『年内をめどに国民的大統一組織を実現する』などが,両組織のトップ会談で合意されたのである. かねて久しく運動の大合同を待望していた多数の国民とともに,両組織代表の決断を歓迎したい(『朝日』1977/5/21)


両団体の統一への合意を歴史的な前進として歓迎したい…核兵器廃絶への国際世論が高まっている時期だけに…一本化が実現すれば…世界の核兵器廃絶運動に対しても国際的なリーダーとして発言力を高めることができるだろう(『毎日』同日付)


合意内容によれば,両組織は,統一世界大会を足がかりにして,年内にも『国民的大統一組織を実現』し,さらに来年の国連軍縮特別総会には『統一代表団を送る』との考えを打ち出している. もし計画どおりに運ぶなら,運動が本来の国民的なアピールと活力を取り戻す画期的な転機となり得るだろう(『読売』同日付)

などがそれであった


ほんらいからいえば,さきの「論文」でくわしく解明したとおり,1963年いらいの原水禁運動の経過がしめすように,みずからの特定の政治的立場を運動全体におしつけようと策して失敗し,運動の本流にたいし対抗的に別組織の旗揚げをおこない,原水禁運動分裂の原因をつくってきた総評・「原水禁」ブロック自身がみずからひきおこした分裂の非を認め,日本原水協に復帰することこそ道理というものである. 日本原水協をはじめ原水禁運動の統一の路線を堅持し,分裂の路線とたたかってきた本流の側が,1977年の「合意」で,あえて対等・平等の形式をとり双方の組織を解散することを前提に国民的大統一組織をめざしたのは,あくまで原水禁運動の前進をねがう高い見地から,最大の寛容の精神を発揮したものにほかならなかった


さらに重大なことは,分裂から14年ぶりにひらかれた1977年の統一世界大会は「国民的大統一組織の実現」という合意を前提にしたからこそ,統一実行委員会の主催で,原水禁運動の組織統一の事業と一体のものとしておこなわれたという事実である. 分裂状態の固定化がつづいている状況下でいっさい無原則的な共同行動に応じないことを一貫した態度としてとってきた日本原水協が1977年の統一世界大会の共同主催にくわわったのも「合意」によって同年内には組織統一が実現するという条件付きの過渡的措置だったからである. そうした組織統一実現の具体的日程の合意をぬきに原水禁運動の本流と分裂の潮流の「共同行動」などは認められるはずのないものであった


(つづく)⇒ id:dempax:09840520



原則を放棄した「共同行動」では統一の回復はできない



総評の準政党的体質と原水爆禁止運動



統一の本流の責務