【下書】「聖域」の建設

開宗宣言の直後、地頭等の怒りに触れ、清澄山を逃れ出で給いしより、一期生の間、再び清澄山へ登らせ給う機会はなかった


日蓮大聖人の御心は、御一代、清澄山を離るることなく、清澄山に住まわれた。御一代の御文章四百余篇が編集されてある。その最初の御述作『戒体即身成仏義(かいたいそくしんじょうぶつぎ)』がある。題号の下、御署名の上に「清澄山住人」の文字がある。他の御書には絶えてなきところである


また『善無畏三蔵鈔(ぜんむいさんぞうしょう)』に「而るを日蓮は、安房国東條の郷(あわのくにとうじょうのごう)、清澄山の住人なり」と記(しる)された。日蓮大聖人の清澄山に対する「聖域」建設は