1969年頃か?

「方便力を以ての故に 滅不滅ありと現ず」法華宗 寿量品


私は千葉県成田市三里塚新国際空港建設現場に平和塔の建立を発願したものであります。闘諍堅固[トウジョウケンゴ*1]と予言された現代を救済遊ばされんとて、高さ 2.5m、優雅な尊厳な、白亜のお姿を現わされたこの塔を、私は久遠のお釈迦様の応身と拝みまいらせます。ところが、この平和塔は、今、友納千葉県知事の強制収用代執行命令の署名によって、いよいよ破壊される時を待つことになりました。地元新聞は1月29日県知事によって「代執行止むなし」という決断がなされたと報道しました


この道場は過去15年間、アメリカのベトナム侵略戦争遂行のために使われてきた、砂川の米空軍基地の拡張の正面に立ちはだかり、当面米軍の使用を断念させた法戦道場が解体・移築されたものであります


そこには、新年を迎えて、30Aの給電線を入れ、空港工事によって絶たれた水源にかわる、38m深井戸のボーアによって、今後いつ何時数百の大衆の緊急結集があった場合にも、これに給水するのに事欠かないように施設されました


落成2年を出ずして方便の滅度をとりたまうためにこそ、一昨年7月7日アジア不再戦記念の日に世に出現したまうた塔中の仏様に、給仕し護持するために常時7,8名の僧尼が地元農民たちとともにここに定住しております


宗像[誠也]先生、興教院釈致誠大居士はここに住まっておいでであります


1965年5月19日ホーチミン生誕の日を記念して誕生した日本のベトナム人民支援委員会は、ここ2年今日まで、およそ1億7千万円の募金を行いその大部分を、あらゆるかたちの支援物資にかえてベトナム人民に送り届けました。先生はこの支援委員会の請を受けられて、ご自慢であったお家の花園からうつし活けられた芥子の花の姿を、水彩で色紙に写され「花々に励まされ、戦いに立ち上がる」と賛をお入れになりました


芥子の花と芥子粒、それが先生のその時のお気持ちにどんな励ましを与えたものか、それは私の推測を越えることは出来ません。力ないその花柄、それが精一杯力の限り咲き出でた散りやすい花。生命の微妙さに励まされたのでしょうか


平和運動は元来強力の闘士や勇壮な烈士たちのたたかいではないのかも知れません。強き弱きを問わず意識の高き低きを問わず、例えば三里塚で空港絶対反対の人も条件付き賛成の人も、男も女も老人も子どもも、力まずに豊かに平和な生活を楽しみつつ行うことの出来るものでなくてはならないと教えて下さったのでしょうか。私はだからこの色紙とお写真を三里塚におまつりしているのです


棍棒や石ころで警官隊と派手に渡り合わぬ限り、かちとるべきたたかいにならぬのなら、芥子の花はとても人を激励して平和運動に起ち上がらすことは出来ないでしょう


先生はその頃大学問題でたいそう重大な局面に立っておいでであったと記憶します


「芥爾も心あれば三千を具す」天台大師


「須彌山の大にも比すべき宇宙を芥子粒ほどの心の中におさめとることができる」ということの意味を先生のベトナム人民支援のための色紙の中に拝んでいるのです


芥子の花はきわめて散りやすいが力一杯咲いています。三里塚の平和塔も、国家権力によって破壊されるために建てられたといってもよいのですが、一年有余のご出現によって日本国民は、日米共同声明路線によって、多角的核軍事同盟化された日米安保条約の危険な未来を知るでしょう。令法久住のために人びとは起ち上がるでしょう。だれひとり傷付くことなく、農民の生活は守られるでしょう。ベトナムインドシナの戦争にかならずアメリカは失敗し、朝鮮戦争再発にふみきっていく日本国の進路をかならず匡正[キョウセイ]し、日本国民・アジア諸国人民を各々堵に安んずることができるでしょう

*1:闘諍堅固: 五種堅固の一つ、釈尊滅後を五百年づつ五期に分け、第五の五百年は、互いに自説に固執し争いだけが多く、邪教を増長する時期とされる