藤井日逹「不殺生戒」

不殺生戒

    藤井日逹



総て一切の生きとし生ける者は,悉く皆其身命を惜み,其身命を護らぬ者はありませぬ. 人間亦例外ではありませぬ. 人類は其身命を護らんが為に特に財貨を生産し貯蓄しました


初には身命が第一,財貨が第二でありました. 次には身命も第一,財貨も亦第一となり,後には財産が第一,身命が第二となりました


最近人命尊重という言葉を聞きます. 是は現在の政治が経済成長第一,人命軽視の弊害に対する弁解であります


人間の身命と財貨との関係に於て本末が転倒し,主従が其位置を易えたるものが,現代文明の病患であります


身命を護らんが為に必要とする条件は,限度があります. 必しも暴力を採用せなくとも事足ります. 太古野蛮時代の遺品にも生活手段以外には,殺人破壊用の器具はあまり発掘されませぬ. 現在生存するニュギニア地方の原始民族の間にも,野蛮な風習はあっても,殺人破壊用の器具は多く無いようであります. 他の動物の中にも,全然暴力に依存せずして生活し繁殖する者は沢山あります


然るに,いかなれば現代文明を誇る人間斗り,我身命財貨を護らんが為にとて,専ら暴力に依存し,軍備を拡大し,他国の核兵器の傘の下に入らざれば安眠する事が出来ないでしょうか


人間は生れ乍らにして頭の頂上から足の爪先に至る迄,他を威嚇する何物も無く,況して他を殺し,他を喰うが如き道具は全然備えておりませぬ. 眼も口も皆,他を喜ばしむるように出来ております. 人間は本来,平和に生活すべき動物であります. 平和の生活の第一歩は家庭であります. 次には郷党隣里国家世界,往く処何等の矛盾も無く,平和に生活する道は一筋に通っております


併ら財貨を獲得せんが為には普通には平和的手段が採用されておりますが,変則的には個人の強盗恐喝,国際的には戦争脅迫等の暴力を採用することが捷径の如く考えられております. 古来,朝に一城を抜き,夕に一国を取るという戦国時代の暴力も,現在の帝国主義国家の軍備条約の暴力も,結局は,財貨,領土,利権獲得の手段であります


凡そ戦争の発端は何れも皆侵略戦争にして,侵略戦争の発端は又悉く同じような,財貨,資源の獲得であります. 現在越南戦争にアメリカは50余万の大軍を輸送し,三軍の総力を挙げ,国家財政を破綻に瀕せしめて,戦争行動を行っております. 是は何も越南人民の暴力からアメリカ国民の生命財産を護らんが為では無く,越南の軍需資源を掠奪し,軍事基地を構築せんが為の純然たる侵略戦争であります. 越南人はアメリカに由て夥き[おびただしき]民衆の生命が破壊されて,其止まる処を知らざる状態に陥り,苟も[いやしくも]活きんが為には其勝敗に係り無く,どうしても闘わねばならなくなって其身命を護らんが為に,戦争行為を決定しました. 是は,純然たる自衛戦であります. 越南人は其8割が仏教徒であります. 仏教徒としての資格の先第一に不殺生戒が授けられ,一切の暴力,就中,殺人戦争を絶対に禁止されてあります. 併ら其不殺生にも,開遮の二面が有って,生命を護らんが為には,いかなる手段を採用しても,生命の危険から護ることが許されてあります


たとい,不殺生戒の開遮の問題がどう有ろうとも,世界は挙げて越南人民の自衛戦を賞讃し,陰に陽に協力しつつあります. 且又アメリカ人の中にも越南戦争反対の抗議が盛んになっております


元来侵略戦争を起こす者が悪いことは勿論でありますけれども,又自衛戦争の者も,戦争手段に訴える時,長期の間には,何時の間にか侵略者と同様に,他の生命財産の破壊損害を為さざるを得ませぬ


是に於て,暴力戦争手段はいかなる時に於ても,人間の生命財産の安全を保証する所以で無く,戦争を頂点とする一切の暴力は総て,生命財産の敵であります


古来人間の生存,繁栄、進歩,発達の歴史は,暴力戦争に由て築かれた物ではなく,むしろ戦争に由て破壊された物であります. 加之,人間の悲劇は,殆ど皆暴力戦争の産物として,世界到る処に演出されました


今日戦争技術の発達は,戦争行為を一層残酷にし,大量無差別の殺人破壊が行われ,特に広島,長崎に投下された原爆を最初として,総ての核兵器の使用は,人類をして全滅の脅威に曝されております. 是に於て,戦争,暴力を絶対に抛棄して,世界が平和に,生命財産が安全に護られる手段を構ぜねばなりませぬ. 抑も人間の生存,繁栄、進歩,発達の歴史は,唯精神的生活を主体としたるものであります


暴力が王座を占め,帝国主義が横行し,侵略戦争が行われつつある今日,全然非暴力にして,我生命,財産を護り,国家の安全を期待することは,不可能なる理想にして,一種の空想の如くにも想われて,信じ難き辺もあります


アメリカの際限無き侵略戦争も,日本の安保条約堅持も,自衛力の増強も,政府の口から国民の生命財産を安全に護るということも,所詮は,貪慾なる独占資本の商売繁盛の営業であります


餌の中に国民の生命財産を奪う軍備といい,戦争という釣針が蔵してあります. 魚が危険とは想い乍らも,やがて針を呑むのも,餌を貪る過失であります. 我国民の生命,財産が国家の干城たる皇軍に由て,其聖戦に由て,枢軸軍に由て,安全に護られなかったのみならず,却て無慙に破壊されたことは,まだ忘れ去らぬ現実でありました


殺人破壊の武器を放棄すれど,即そこに平和は現前します. 武器を採用すれば途端に戦争が起ります. いかなる時にも武器に由て平和を創造することは出来ませぬ. 現在東洋に於て,戦争しておる者はアメリカであり,世界に,戦争を計画しておる者もアメリカであります. 我々はアメリカの軍事力に対決する為に,殺人破壊の手段より外の,之に勝る手段を発見し採用しなければなりませぬ. それは古来暴力的対決にあけくれた歴史の中には見出だされぬ新しき手段でなければなりませぬ. 暴力を否定する効能から云えば非暴力であり,物質的貪慾を制御する点から云えば精神的でありましょう


決定して人の生命を奪わない誓願から云えば,不殺生戒であります


非暴力の行動,不殺生の法則は,一人で深山幽谷に籠って修行することは容易でありますけれども,一般社会の役には立ちませぬ. 非暴力も不殺生も,大衆の中に在て初めて世界平和を建設します


我大衆の中に入り,大衆が不殺生戒の力が軍事力に勝ることを信ずる時,人々の集団の力に由て,暴力を排除し,人間の生命の安全を守るという悲願が,共同一致の不思議な力に由て達成されることを確信し,人類全滅の前に一切の戦争行為の災害を喰止める運動を成効せしめねばなりませぬ (ふじいにったつ=日本山妙法寺山主)