問題


『不屈の青春』まえがき(読みはじめてすぐに, 当時の党幹部が書いたことは分かるでしょう)を読んで, ここはおかしいという箇所を探して下さい. (ひんと)出題者がおかしいと感じた箇所は太字としておきました. 「終戦までの云々」[*1]のようにその異常さを説明できる箇所もあれば,説明は出来ないがなんかおかしい箇所までいろいろとあります



『不屈の青春』

まえがき

作家の山岸一章同志が,雑誌『月刊学習』に連載した「ある党員の記録」のうち,昔の非合法時代にたたかいのなかで倒れた10名の共産党員のぶんを1冊に纏めて,出版することになりました


これは「ある党員の記録」と題していまもなお『月刊学習』に連載しつづけていますが,山岸同志は実に克明に調査研究し,まとめています. 30年以上も昔のことであり,すでにその同志たちは死んでいるし,天皇制警察の弾圧の時代だったから,記録というものはほとんど残っていない場合が多いにもかかわらず,山岸同志がその同志たちといっしょにたたかって,いま生きている人びとや死んだ同志たちの兄弟,縁故者たちをたずねて,あくまでも真実を探究してまとめる山岸同志の態度に,わたしは感心しています. わたしも山岸同志から問われれば,わたしの知っているかぎりの事実について話したり,また助言などもしました


日本共産党が創立されてから終戦までの23年間は完全に非合法の時代でした. 暗黒の専制天皇制の時代に特別高等警察憲兵によつて検事局(今日の検察暑),裁判所,刑務所などという弾圧機関によつて, 何万人という共産党員や支持者が, 治安維持法によつて弾圧されたかしれません. この何万人という人たちが, 血みどろの弾圧をうけたのです. 渡邊政之輔,岩田義道,小林多喜二,野呂栄太郎などという有名な指導者たちが殺されたことについては, 今日多くの人びとが知っています. しかし闘いのなかでたおれた無名の同志たちについてはそれらの同志たちを知っている少数の人びとにしか知られていません山岸同志がひじょうに苦心してそれらの同志たちの業績について調べてそれを公表する仕事にとりくんでいてくれるということにはわたしたちも感謝したいと思います


共産党員が人民解放のために, 党のため革命のために献身するということは, 世間の多くの人びとに知られ, 評価してもらうためではありませんが, しかし, 犠牲になってたおれた同志たちの功績をたたえ, その業績を学ぶことは生きているわれわれの当然やらなければならないことだと思います. 日本共産党の革命的な伝統は, 決して抽象的なものではないと思います. 腹一杯食うことも出来ないで, たえず敵に追及されながら活動し, とらえられては残酷な拷問にあい, 監獄にとじこめられるという闘いのなかでたおれた同志たちが, 不屈の伝統をきずいてきたものだと思います


戦後24年たった今日, 日本共産党は公然と存在し, 30万にちかい党員を持ち, やがて200万にもなろうという機関紙を発行するまでに成長しました. しかし, 戦後の歴史をふりかえって見ただけでも, 少なからぬ数の犠牲を党ははらってきました. 三鷹事件,松川事件その他共産党を弾圧するためにでっちあげ事件で無実の共産党員が弾圧されました. それらの事件で党員たちは裁判において無罪をかちとったものもありますが, 白鳥事件の村上国治同志のように計画的でっちあげで年の懲役に処せられいまなお網走刑務所に不法に監禁されている同志もいます党が合法的に存在するからといってもまったく油断も隙もありません. 米日反動勢力は安保条約を延長しあるいはこれを改悪してアジアにおいて侵略戦争をいっそう露骨におしすすめるため憲法を改悪し徴兵制度を実施して軍国主義化をすすめようとしています. 将来いつどこでわが党に挑発をかけてくるか知れません


日本共産党の党員は, 常に反動勢力にたいする警戒心を持つことを忘れないで幾百千万の人民とともに, 腹黒い米日反動勢力のたくらみを粉砕しなければなりません. これらの闘いは, ひじょうに忍耐のいる, そして勇気のいる事業です. このような困難な闘いを立派にやっていくためにも, 多くの若い同志たちが, 本書のなかに山岸同志が書いている同志たちの史実からいろいろ学びとられることを期待します


1969年4月


*1:終戦」という言葉は国体護持勢力が,敗戦を認めないために作り出した政治的な用語なので,無神経に使うわけにはいかない