『アカハタ』1965/01/14(4面)「写真特集 米占領20年 屈辱から立ち上がる沖縄県民」写真を読む


■【(1)首席公選要求,米専制支配粉砕のため決起した労働者,農民(1964/6/26). 米側は「沖縄での自治権は神話にすぎない」と公言しましたが,首席公選をめざすたたかいは奪われた民族主権の回復の闘争として次第に高まっています】旗【□□学生自治会】等(座り込んだ集会参加者は鉢巻き,書いてある文字は読めない,日の丸鉢巻きではなさそうだ)


■【(2)本土での安保反対闘争と結んでたたかわれたアイゼンハワー退去要求の大デモ(60/6/19)多数の武装米兵が鎮圧に出動しました】(デモ隊と揉み合う米兵=写真手前)看板【アイクかえれ!】【…祖国復帰】【…反対】


■【(3)島ぐるみの土地取り上げ反対闘争は十数万人が参加してひらかれた四原則貫徹県民大会で大きくもりあがりました(1956/7/28)】


(会場の後方から全体を撮影,沢山人が集まっていることしか分からない. 沖縄県祖国復帰闘争史編纂委員会『沖縄県祖国復帰闘争史 写真集』沖縄時事出版,1982/5/15の演壇近くから撮影した【p.32-33 1956/7/28 四原則貫徹県民大会(那覇市)10数万人が参加】を見る限り,日章旗は無い)


■【(4)沖縄を祖国から分断した北緯17度線上での最初の海上大会(1963/4/28)沖縄,本土双方の代表は感激のうちにかたい握手をかわしました】旗【□(「福」「静」いずれか?)岡県平…(和委員会)[*1]】他(日の丸無し)[*2]


■【(5)米人経営のプライウッド社の労働者は植民地的搾取に抗議し,地上33メートルの煙突にのぼって54日間も決死の抗議をしました. 写真は煙突をおりた労働者とのスクラム(1964/5/15)】[*3]


■【(6)いま,全県下の農民は砂糖黍買入価格の切り下げに反対して,デモ行進などに立ち上がっています】先頭の横断幕【農民と農業を守る大行進】旗3本【…】(日の丸無し)


【補足説明】「沖縄・小笠原返還要求行動月間」が始まる1月15日の前日,紙面一頁を使った写真特集, 紙面8段の上6段に,写真と写真説明文を配置, 下2段に「本土人民と堅く結び/祖国復帰へ 弾圧・分裂を打破り前進」と題する沖縄 戦後史 戦後人民闘争史(署名論文)と「沖縄県/(地図)沖縄県の位置」を載せている

土人民と堅く結び
祖国復帰へ 弾圧・分裂を打破り前進

*1:ピカソの鳩の絵から平和委員会旗と分かる

*2:『アカハタ』写真特集の海上大会(1963/4/28)に日章旗はないが,撮影者/機関紙編集者の取捨選択が働いていることは頭においておく必要がある. 沖縄県祖国復帰闘争史編纂委員会『沖縄県祖国復帰闘争史 写真集』に掲載された1963年,1964年の4・28を見ておこう【p.72-p.73 1963年4月28日 北緯27度で本土・沖縄が初の海上大会】3隻の小船,旗【旭…】の船に日の丸小旗1,幟【沖縄返還協…】の船には日の丸無し,手前撮影者の乗る船には旗【人民…(党)】旗【沖縄社…(社会大衆党)】腕章【…(社会)大…(衆党)】(腕章【…大…】が旗【沖縄社…】と小旗【日の丸】を持っている,その左隣にも小旗【日の丸】),ibid.【p.77上 [1964]4.28海上大会】(2隻の船)左の船に幟3【沖縄祖国復帰…】日章旗1,右の船に旗【官□(公?)労】幟【歓迎…[一番上に日の丸]】日章旗1【p.77下 (1964年)4・28デモ行進】横断幕【祖国復帰】日の丸小旗をデモ隊の何人かが持っている,看板【祖国へ[「祖」「国」の間に日の丸]】提灯【お母さんアンマーヨー[提灯に日の丸]】と日の丸だらけである

*3:沖縄タイムス社『写真に見る沖縄戦後史』沖縄タイムス社,1972/08/01 p.89には煙突上での記念写真【米系資本の沖縄プライウッド社で賃上げをふくめた権利闘争がストへ発展. 従業員中四人が那覇市壺川工場の煙突にのぼり,寒空の中で54日間頑張った.戦後沖縄の労働争議史上特筆される事件で写真は本社カメラマンが煙突上で撮影した(1964/3/25)】