國際主義は自分への信頼である


最後に,國際主義と民族主義を見よう


今日,多くの日本人はこんな考え方をしている. たしかに保守の連中は國内政策ではあまり政策がない. しかし,特殊な國際的環境におかれた日本において,やはり對外問題の解決が急務であり,そのためには保守の連中もある種の價値はあるのではないか -- と


これは保守の民族主義宣傳の効果であるが,國民はその基本方向をもつと冷靜に考えて見る必要がある. 國内問題をうまく解決しえないものが國外問題をうまく解決するはずはないのである. この兩者は不可分である


今日の日本の對外問題は特殊なものにちがいないが,日本民族の完全獨立についてはポツダム宣言の中で嚴に保障されている. 「民族の完全獨立」を鸚鵡のように繰り返す人は多いが,この宣言の眞の意義について正しく語る人は少ない. この宣言が日本民族を奴隷としないと宣言したこと,その保障として民主主義を助長していること,等々は,國際主義と今日の日本の民族問題との關連を示す好例である


もちろんこの對日宣言は孤立したものでなく,クリミヤ宣言・對歐ポツダム宣言等と關連するものである上に,これは第二次大戰を通じてでき上つた世界の新力關係を直接の背景としている. それは世界の平和と自由を守ろうとする人々の力によつてのみ支えられているものである. しかも,この力とは各國における勤勞大衆の生活を改善し,勤勞大衆(「國内市場中心」)のための生産建設をなそうとする活動そのものである. それは各國において資本家的「復興」と眞正面に對立している


さらに,これを別の言葉で表現すれば,世界の平和を擁護し,國連の平和機構を擁護し,世界の一切の平和主義者・民主主義者を網羅する力でもある. しかして,これこそが,日本に繁榮せる貿易と好ましい援助を約束するものである. 今日のこの力,その在り方を正しく理解することが民族問題の根本の一つである


しかし,これは決して待てばくる日和ではない. 日本國民にはポツダム宣言の完全履行があるが,これは日本の勤勞大衆が民主主義を完全に實現すること,自分の生活をよくすること,眞の平和民主日本を作ること以外のことではない. ここで,私がとくに大切だと思うことは,國外問題と國内問題とは決して別ではありえないということである. かつて日本軍閥どもは「戰爭のためにすべてを犠牲にせよ」といつたが,勤勞大衆の犠牲だけを強いるような戰爭そのものが間違つていたのである. 今日の世界平和は,勤勞大衆の生活を改善し,日本の國民のための生産建設を保障するゆえに尊いのであり,またその平和は勤勞大衆のそのような改善的努力の上にのみ保障されうるのである. 各國内の資本家や人民の生活から浮いた戰爭や平和というものはない. ゆえに國内的には人民を壓迫するが,對外的には平和方針だということはありえないし,國外的にはなかなか遣り手だということもありえない. 日本の勤勞大衆にとつては,自分たちがいまやつている生活改善や復興のための活動の中から,それを通して世界を見れば,日本と世界との關係は極めて明白になるのである. それが正しい國際主義である


さらに,勤勞大衆にとつて,今日とくに大切なことは,自分等の力の眞に偉大な姿を知ることである「過剰」なほどある「人口」の偉大さを知ることである. その「人口」は,長い歴史の中ではぐくまれた知識と文化と技術と訓練とをもつている. しかして,それらは無政府的でなく,搾取者のためにでなく,その能力の最大限の發揚のために自らをも組織する能力をももつているがゆえに偉大である. 日本の獨占資本が自力によつて日本の經濟危機を克服しえないことは,彼等自らが告白している. その働く「人口」は,日本の經濟を國民のために再組織するだけでなく,また,農業と工業を復興しうるだけでなく,農業と工業とを正しく結合しうる力をもつ. それが勞働者と農民との同盟という意味である. それあるがゆえに,日本は國際的信頼をとりもどし,繁榮した貿易の下で世界の諸民族とともに繁榮しうるのである. この「人口」の力への自覺こそ,まさに新しい祖國意識である


これは階級性の貫徹であつて,民族主義ではない. ただ,民族主義と民族性・民族文化とは同一でないし,また民族主義は新しい祖國意識とも同じことではない. 今日の問題はどの方向が眞に民族文化を發揮し,わが國の國際的地位を高めうるかにあるのである. それは階級性と國際主義を貫く廣汎な人民大衆の新しい結合,一切の資本主義的,敗北的民族主義の克服の上にのみ可能であろう (筆者・参議院議員)