林基・石母田正「くにのあゆみ」批判(2)

武士のおこりはかなりよく書かれているが,他方朝廷や貴族の頽廃は少しも書かれていないので(腐敗したのは,地方官だけのことにされ,中央の貴族や宮廷についてはただ「華やかなくらし」としかない),これでは政権の武士への移行の必然性が理解され得ない. だから第四章の始めで「源平のあらそひが,源氏のかちいくさに終つたので,政治の権力は,しぜん[「しぜん」傍点強調],源頼朝の手にうつることになりました」などといふ無説明に帰着する. 歴史研究は一見「しぜん」に見える現象の歴史的理由を明かにすることを任務とするはづではなかつたか. 更にこのやうな書方は,腕力の強いものが勝つのだ,勝てば官軍といふやうな考へ方へ児童を導く危険をも蔵していることに注意しなければならない


政権のこの移行が必然的なものであるとすれば,いままで偉業または壮挙として理解されていた承久の乱建武の中興は歴史的な反動としてつかまれる必要がある. 承久の乱は新教科書では「後鳥羽上皇は政治の実権を武家からとりかへさうとお考へになりました. 源氏がほろびたあとで,上皇は,執権義時をうつて幕府を倒すはかりごとをお立てになりましたが,しっぱいしてしまひました」と朝廷を主体としてしか記されていない. 然し歴史的に重要な意味があつたのは,朝廷の陰謀ではなくて,これに対する武家側の急速果敢な反撃であつた. 武家が数日にして十数万の兵を動員して,忽ちにして官軍を打破り,天皇を廃位して二上皇を流罪にし,多数の公卿を処罰したこの事件は,今まで天皇の政治的奴隷の境涯にあつた武士が歴史の主体に飛躍した歴史的な瞬間であつて,これを抹殺した国民の歴史といふものは到底考へ得られない. この点でも本書は「皇室のあゆみ」ではあつても「くにのあゆみ」では断じてない


更に建武中興についていへば,初めに高時の悪政を述べ,次いで「このやうな時に,後醍醐天皇が位におつきになりました. 天皇は高時をうつて,幕府を倒すはかりごとをお立てになりました」云々と書き,倒幕の過程を述べた後「天皇は,まもなく京都におかへりになつて,新しい政治のしくみをおつくりになり,記録所でしたしく政治をおとりになりました」と書いてあるのは,建武中興を高時の悪政に対する進歩的な改革であるやうに見せかけるものであるが,二条河原落首の示すやうな中興政治の腐敗を故意に抹殺しているのは許し難い. 中興の失敗は,この教科書が云ふやうに公家が久しく政治からはなれていて不馴れであつたこととか公家と武家の仲たがひなどに求められることは出来ない. 第一の理由などは全く理由にならないこじつけである. 若しさうなら旧来の政権をたほして新に政権をとつた全ての革命的勢力は忽ちにして亡びねばならぬ筈である. 革命的勢力はそれが正しく歴史的進歩の線に沿うて進んでいるかぎり,一切の不馴れも一切の仲たがひも必ず克服するものである. 中興が朝廷や貴族にとつて失敗であつたことは彼らが歴史的な階級として既に時代おくれになつていたからに外ならず,且つ中興政治の臭気芬々たる醜状はその明らかな証拠をなしている. そしてこの改革の実際の主人たる大名勢力は朝廷や貴族の没落とはかかはりなしにこの改革を通じて収穫すべきものは収穫しているのである. これらの歴史的意義を明かにする代りに,新教科書は戦乱の過程を詳しく述べたり楠木正成を持ち出したりすることにむしろ力を注いでいる


室町時代に入ると土一揆のことを重税や悪政に苦しんだ「人民は大勢力をあはせて一揆をおこしました」などとかなり肯定的に書かれているのはよいが,それがどのやうな影響を後の歴史に与へたかは明記されず,ただ「幕府には,もうそれをしづめる力はありません. それで世の中はだんだんさわがしくなりました」としか書かれていないのでは,結局一揆などとさわいでも世の中をさわがしくする効果しかないものだといふふうな,民衆の自主的な努力に水をさすといふ効果がねらはれているやうにも思へる


そして「第四節 新しい時代への動き」にも,大名のこと皇室のこと世界の動きのことは書いてあるが,先に土一揆にあらはれた人民の歴史的エネルギーは新しい時代を生み出す力のうちには数へられていないのである


安土桃山時代に入ると,信長,秀吉などの封建的覇者が,あたかも啓蒙的絶対君主のやうにほめたたへられているのに出会ふ,この教科書の監修者たる豊田氏の最も得意の題目であつた自治都市の発達(例へば堺)のことがどこにも出てこないのは不審に思はれもしたが,信長や秀吉をほめたたへるためには,日本の人民の歴史の誇りかなこの部分を切り捨てるくらいはなんでもなかつたのであらう. 検地が行はれたのは農業が一番大切な産業だからであり,貨幣鋳造は人々の不便をのぞかうとしたからであり,道路の改良も人々の便利のためであり,刀狩りは「世の中を平和にするには,それぞれ自分の仕事に力を入れさせることが大切であります. それで秀吉は,武士以外のものから,刀や槍や鉄砲をさし出させた」のであるといふのである. 創作もこの位になると本気になつて批評しようと思つても思はず顔面筋肉が運動し始めてしまふほどである. われわれだけでなく冥土の信長や秀吉が苦笑しているであらう


朝鮮征伐についての記事も,この侵略に対する批判をふくんでいないばかりでない「この役は,7年もかかつて,多くの人の命とたくさんの費用をむだにしただけでありました」といふ書き方は,1,2年ですんで人命と費用をそんなに無駄にしないならば海外に侵略の手をのばすのはよいことだといふ考へ方をひそませているやうに見える「文は人なり」とも言ふが,仮面や付け焼き刃といふものが如何にはげ易いかといふことを,この教科書全編ほどによく示しているものはないだらう


第七,八章の江戸時代の部分は割合によく書かれているが,未だいろいろの欠陥を残している. きりしたん禁止が幕府の支配維持のためのものであつたことを指摘しながら「きりしたん宗の教への中には,わが国のならはしに合はないところもありました」などといつて,この非道な弾圧を合理化しようとしたりしているのは,昔ながらの伝統主義の残存といふべきであらう


農民の抑圧された状態について一応書きながら,あの大規模で頻繁な百姓一揆について一言もないのは,どうしたことか. また当時の農村に自治が許されていたなどと明らかに事実に反することを書いているのはどうしたことか. 裁判権も経済的な自主権も何もない当時の農村に自治を云々しては,今日問題になつている民主的な地方自治についてのはつきりした理解をさまたげるものである


又この教科書の特徴として文化に重きをおいたことが自慢されているが,元禄時代といふ日本文化史上の大切な時代についての記述をみても,ただ文化史上の現象や人名が羅列されているだけで,それの歴史的な意味は少しもはつきりしない. 近松西鶴の名前を覚えるだけでは意味がない. 日本民族の文化に彼らがどんなプラスを加へたか少しも明らかにされていないやうな「文化史」は,ただ児童の暗記力に対する負担をますだけであらう


第九章幕府の衰亡では,明治維新の由来が説かれているが,維新の原動力は,依然として尊皇の志士や雄藩にだけ求められている. 更に開国の影響で攘夷論が起り,それが倒幕論にみちびいたやうに書いているのも,旧来の皇室中心的排外主義的な維新史観が払拭されていないことを示している. たとへば土佐の後藤象二郎のことを述べても「政治の中心を幕府から朝廷にうつさうと考へました」としかなく,土佐派の議会政治論に一言もないのなど,明白な皇室中心主義の作為がちらついている(林基)