17.性慾と強姦


出征者に対して性慾を長く抑制せしめることは自然に支那婦人に対して暴行することとなろうと兵站は気をきかせ中支にも早速に慰安所を開設した其の主要なる目的は性の満足により将兵の気分を和らげ皇軍威厳を強姦を防ぐのにあつた


慰安所の急設は確かに其の目的の一部は達せられた然しあの多数の将兵に対して慰安所の女の数は問題にならぬ上海や南京などには慰安所以外に其の道は開けてるから慰安所の不足した地方へ或は前線へと送り出せるのであつたがそれでも地方的には強姦の数は相当にあり亦前線にも是を多く見る 是は尚女の供給の不足してることに因るは勿論のことだがやはり留學生が西洋女に興味を持つと同様で支那女といふ所に興味が湧くと共に内地では到底許されぬことが敵の女だから自由になるといふ考が非常に働いて居るために支那娘を見たら憑かれた様にひきつけられて行く 従つて検挙された者こそ不幸なんで蔭にはどれ程あるか解らぬと思ふ


憲兵の活躍のなかつた頃で而も支那兵により荒されず殆ど抵抗もなく日本兵の通過にまかせた市町村あたりは支那人も逃げずに多く居つたから相当に被害があつたといふ加え部隊長は兵の元気をつくるに至つた必要とし見て知らぬ振りに過ごしたのさへあつた位である


然るが故に支那土民は日本兵を見ると娘は何処かへ隠されていた上に然るが故に上海に残留した日本人は支那人,西洋人の前に日本の軍人の非常に礼節を重んずるから支那婦人を冒すなんて事は断してないと予め吹聴したものだつた 然るに事実は是に相違したもので支那良民の日本兵の怖るること甚しく若い女は悉く隠されて影もない様になつたと言はれる


然るに一方南京の避難民区からは糊口の道を得るために昔の夜鷹の如くに若き支那人が枕になるもの下敷になすものだけを携えて昼夜兵と宿舎にあらはる様になつたので風儀の紊された事もあつた


こうなると憲兵の方も強姦か和姦かの区別を考へねばならなくなり若し其の場所に敷物代用品があつたり支那婦人が日本貨を持つて居た事実が認められたら和姦として取り扱つて見る様になり強姦の数は実際よりは少なくなつたといふ,敵國人といふ感の働くために無償にて行ひ要求された時に是を追ひ払つたりする為に自活委員会からの告訴に会つて恥をかく例も少なくないのである


勝利者なるが故に金銀財宝(掠奪[*1])は言ふに及ばす敵国婦女子の身体迄汚すとは誠に文明人のなすべき行為とは考へられない 東洋の礼節の国を誇る国民として断愧にたへすことである 昔和倭は上海に上陸し南京に至る迄此の様な暴挙に出た為に非常に野蛮人として卑しめられ嫌はれたといふが今に於ても尚同じ事が繰り返さるとは何とした恥辱であろう 憲兵の活躍は是を一掃し皇軍の名誉恢復に努力しつつあることは感謝にたへぬ



次に強姦事件の実例を列挙する


【1】或る兵は兵站病院を退院原隊へ復帰の途次飲酒酩酊の上所属隊宿舎の附近の支那家屋へ侵入し同家二階に居合わせた支那婦女(21)を強姦した


【2】二人(A,B)の兵は他の一人(C)を誘ひて外出した Aは支那婦人(20)を見ると劣情を起こし強姦を志しCをして同女を付近の空家へ連れ行かしめCをして所携の小銃を一発発射せしめ更に着剣の上剣先を同女に突付け同女が恐怖するを見ると付近の民家内へ引き入れ強姦した BはAの目的を達したのを知るとAの立ち出た後へ入り込んで同女を強姦した


【3】或る兵は或る支那民家へ立ち寄ると同家の娘(16)が兵を見て怖れ逃げ去らうとすると是を捕へて強姦したばかりでなく翌日も行つて再び強姦した


【4】或る兵は飲酒酩酊の上無断外出をし支那婦人某(49)方へ侵入し所携の軍刀を引き抜いて脅迫した上強姦した


【5】或る兵は加給の酒に酔ひ戦友と共に外出し支那婦人某(42)を認め是を姦淫せんと思ひ同家内に侵入して同女に性交を要求した,同女は日本兵を怖れて抵抗の出来ないのに乗じて姦淫した


【6】或る兵は支那酒に酔ひつつ支那店に立ち寄り焼鳥を食する時其の傍に居た支那少女(6)を見ると同女が13歳未満の少女であることを認識しながら姦淫せんと思ひ同女を抱きながら室内に入り同女の父に銃剣をつきつけ退去を命じ置き同女を姦淫せんとせしも少女の為め目的を達し兼ね指頭を以て押し広がんとして負傷せしめたり


【7】或る兵は武装街頭に出て支那民家の表戸を蹴外し家内へ侵入し隠れて居た支那女(16)を発見し同女に銃口を差向け脅迫の上姦淫した次に同女を宿舎へ連れ行き帰宅すれば殺すぞと脅迫して不法監禁をした其の間無抵抗なのに乗じて姦淫した其の翌々日同女の宅へ侵入し怖れ隠れ居たるを発見し強姦した


【8】或る兵は戦友二人と共に支那酒や「ビール」を飲んだ上支那婦人を探し求めた上輪姦した


【9】或る兵は歯科治療に行つた帰途に「ビール」を飲み酔いに乗じ支那家屋へ「ノック」して入つた,男が茶を出してくれた,外に話声がするので着剣で警戒に出ようとする時に辿つた其の折に支那女に触れたかも知れぬと話したが是は偽りで強姦未遂であつた


【10】或る兵は街上の支那家屋へ入ると母親と娘とが居た娘へ要求をすると承知した母親は是を見て出て行つたので其の娘を姦淫せんとしたが発育して居らなくて出来なかつた(娘は10歳位)其のまま帰つた娘へ隊へ来れば残飯をやるからと隊名を書置いたことから憲兵に捕へられた



以上述へた様な例は尚沢山に挙げる事が出来る強姦をやつても容易に発覚しないだろうと考へることは大変な誤でこんなに知れ易い事柄はないのであると法務部当局は兵隊を戒めて居つたが全く其の通りである


日本の軍人は何故に此の様に性慾の上に理性が保てないかと私は大陸上陸と共に直ちに痛嘆し戦場生活1ヶ年を通じて終始痛感した,然し軍当局は敢て是を不思議とせず更に此の方面に対する訓戒は耳にした事がない而も軍経営の慰安所を旺んに設けて軍人の為に賤業婦を提供したそして娼婦から性病の軍人間に蔓延せしめたそして遂に其れのみを収容する兵站病院を作る必要を生じた 性病のある間は帰還を停止した兵にのみかく厳にしながら将校間に却つて性病が多かつた若い将校どころか上長官の間にも患者はあり軍医に秘密治療を受けて居る 性病を支那人から得ぬ様に慰安所を設け内地,内鮮人を娼妓として使用しながら皮肉にも彼女等が性病を広げた


軍当局は軍人の性慾は抑へる事は不可能たとして支那婦人を強姦せぬ様にと慰安所を設けた,然し強姦は甚だ旺んに行はれて支那良民は日本軍人を見れば必ず是を怖れた


将校は率先して慰安所へ行き兵にも是をすすめ慰安所は公用と定められた心ある兵は慰安所の内容を知つて軍当局を冷笑して居つた位である,然るに慰安所へ行けぬ位の兵は気違だと罵つた将校もあつた


要之戦場生活は殺風景だから気が荒くなる是を抑へる為には兵に女を抱かせるより善い策はないとしたのは尤もである


然し日本軍人が戦争に来て大きな顔をして慰安所へ暇さえあれば通う姿を見た支那人は笑つて居た


上海へ上陸した其の日に何処へ行つたら女が買へるかと在留日本人に聞くと言ふので日本の兵隊さんは戦争に来たのぢぁないのかと反問してるのを聞いた


上海でも南京でも日本服姿の婦人を見るとゲラゲラゲラゲラ笑つて恥ずかしさも知らずに揶揄する それが家庭婦人たると賣笑婦たるとの区別がない 慰問に来た女学生や婦人に向かっても平気で無作法な動作したり言葉で話し掛ける どうして軍人は此の様に性慾にかつえて居り亦其の抑制がないかと思はれる,海軍軍人は決して此の様な風を見せないのは海軍軍人の平常の教育が宜しい為と考へられる


此の様に陸軍軍人は性慾の奴隷の如くに戦場を荒して居るのであるから強姦の頻発も亦止むを得ぬことと思はれた


宣撫班にも一方に大きな成果を挙げつつ一方から是を破壊する様な破廉恥な行為が行はれてる 即強姦と金品の脅□とである,是は其の職を利用する無頼の徒が通訳として入り込んで居るからである,此の様な不徳行為のために大切な宣撫事業が妨□される一方ならずと私は話し聞かされた



【備考】


原文…カタカナ,漢数字⇒平仮名,算用数字標記とした


傍線箇所(罫外に丸印有り)を青で強調した



【参考】早尾乕雄「戰場心理の研究/総論/第8章 戦争と性慾」 http://d.hatena.ne.jp/dempax/19380531


*1:「掠奪」は後から追記