號外 無産者新聞 1928/12/30

1928/12/30印刷納本

號外 無産者新聞

同志渡邊政之輔
 十月初頭基隆で自殺
 尊き犠牲者の遺業を
  階級黨の旗下に遂行せよ!

我が労働者運動の最も優れた指導者の一人 同志渡邊政之輔は去る十月の初頭, 薹灣基隆で自殺を遂げた 同志渡邊の死一度び傳へらるるや彼の輝ける階級的一生を知るものも知らざるものも, 斉しく痛惜の念に耐えず, 同志渡邊を死に至らしめた支配階級の惨虐に, 限りない憎悪と復讐の思ひを胸に燃たたせた. 去る23日の新黨創立大会の席上『渡邊政之輔基隆で殺られた××××』の電文が披露された時[*1], 異常な沈黙,異常な緊張が場内を壓したと見る間に, 満場忽ち殺気に満ちて総立ちとなり『官憲横暴!!』と怒號咆吼する中を, 熱涙をふり絞って『五分間の黙祷と抗議文作成』『遺族の救援金募集』の緊急動議が提出された. あの場景こそ, 同志渡邊に対するわが労働者大衆の信頼が如何に厚かったかを物語るものでなくて何であらう! 同志渡邊は1927[年]末から日本×××[共産党]の中央指導部の重要な地位を占め, わが国の傳統的な可之同志福本によつて二重にわざはひされたかの宗派主義, 解黨派主義を克服して, 黨を工場細胞に基礎を置いた鞏固な地下建築たらしむるための, 確固たる土台を築いた. 日本×××[共産党]が今日公然と政策を示や[ママ]行動綱領を掲げて真実の大衆黨結成の途を進みつつあるのは, 同志渡邊の功績にまつところ多大である


同志渡邊は十月渡薹. 不幸基隆で官憲に発見された. そして終に自らピストルで顔面を粉砕して死んだ. 官憲は辛うじて指紋によつて同志渡邊であることを辨別した,と傳へられている. 共産主義者の自殺! 労働者諸君は恐らく奇異の感にうたれるであらう. 然し,重要な××を帯びて渡薹した同志渡邊は,最早一歩も逃れ難い窮地におひ込まれたとき,決然,黨を守るために,黨の危険を防衛するために自殺したのであつた すなはち,同志渡邊は,わが労働者階級の解放の利益のために,一身を終に犠牲に供したのであつた


全勞働者諸君! 今春以来, 白色テロル的反動の政府は, 幾多の指導者や優れた闘士を奪い去つていつた. 今その同じ手が,××[天皇]と資本家と地主が同志渡邊を殺したのだ. 東京合同の前身南葛勞働會の當初から總同盟の左翼を指導し, 評議會,日本×××[共産党]の指導者となり文字通り血みどろの戦ひを續けた. 同志渡邊は遂に齢三十で精悍な姿をわれわれの前から消していつた. 同志渡邊の死はかけがへのない痛手だ. 然し同志がとり残した事業は,わがプロレタリアートが遂行するであらう. 彼が總同盟の時代から右翼の反動的官僚幹部と假借なく鬪争し,また山川,猪俣等の左翼社会民主主義者を完膚なきまでに批判し了し,更に明確な階級的大衆的黨結成への途を開いた事業--これらは今や『工場細胞に基礎を置いた. 鞏固な×[非]合法組織』の建設をスローガンに掲げて, 現実的に大衆的な黨を築きあげつつある日本×××[共産党]によつて遂行されている


親愛なる勞働者諸君! 凶暴な反動の刃は,プロレタリアートの最後の勝利の日まで,幾多の指導者や闘士を,同志渡邊と同じ運命に曝さうとするであらう. だが×[非]合法組織の強化,擴大によつて,われわれには確乎不抜な陣営が築きあげられ,われわれは如何なる弾壓にも耐え得るものとなるであらう. この組織のもとに結集してこそ,勞働者農民の政府の樹立一切の政治的自由の獲得は初めて可能となるのだ


支配階級の反動暴力と抗争せよ!


勞働者農民の言論集会出版結社の自由!


治安維持法の撤廃!


勞働者農民の政府の樹立!





【出典】●『無産者新聞』1928/12/30号外「同志渡邊政之輔/十月初頭基隆で自殺/尊き犠牲者の遺業を/階級黨の旗下に遂行せよ!」⇒(復刻版)法政大学大原社会問題研究所『日本社会運動史料 機関誌紙篇 日本共産党合法機関紙 無産者新聞3/4 (1928.1.1-12.26)』法政大学出版局,1976/02/28 p.312


太字下線に依る強調…原文は地の明朝活字より一回り大きい太ゴシック活字で強調



*1:新党準備会: 1928/12/22-24 本所公会堂 ××××は山本懸蔵名義(台湾の報道で知った鍋山貞親が打電した), 松田道雄『近代日本思想大系35 昭和思想I』p.465