3. 不逞朝鮮人なる用語の意義

不逞鮮人なる語は万歳騒擾後の呼稱に係る韓國の晩年統監政治時代在野の有識者及兩班儒生聲望家中政治を談し不平を唱ふる者之を警察上要視察人と稱し之か言動の監察は警務官憲の最も力を注きたる所なり其の後韓國軍隊の解散に伴ひ不平を鳴し武器を執りて集團横行し武力的に施政に反抗せしもの之を暴徒と名つけ警務官憲の力及はすして軍隊の威力に依り討伐鎮定せり如斯等しく施政に不平を抱くも其の行動外形の如何に依りて其の名稱を異にせり又暴徒平定後に於ける一般的不良分子は多く耶蘇教傳道師の袖下に隠れて陰然排日行動に熱中する不平黨なり其の行動たる武器を執るにあらす主として言論に依りて事を爲し間接に所謂直接行動を助成せんとするものなるか故に之を暴徒と呼ふことなく警務上要視察人又は要注意人と稱へたり而し海外に遁竄[*1]妄動するもの之を海外不良鮮人と稱し共に朝鮮施政に反對し韓國復興獨立を叫ふこと現今と異なをす


是等數種の不良輩多數の妄動は遂年一般的に民心上に擴大し更に外人宣教師の後援漸次顯著となり益々排日思想の高潮するものありし折柄 民族自決主義に刺戟せられて茲に孫■熙[き]等の陰謀を生し大正8年萬歳騒擾勃發するや前期數種の不平輩は忽ち制令の制裁を受くるに至り以て一律に不逞鮮人と唱ふるに至れり最近に於ては不逞者なる語義の範圍更に擴大して苟も[*2]國權恢復韓國獨立又は義軍義兵を標榜するものは其の實質上に於て單なる強盗 草賊の類と雖も尚之を不逞鮮人と稱へつつあり對岸地區に蟠[*3]居する不平分子亦其の種類の如何を問はす悉く之を不逞鮮人と稱し最近に至りて武器を携へて江岸地區に直接行動を逞ふする一部分を目して朝鮮馬賊又は鮮匪と名つくるものあるも不逞鮮人と稱して敢て不可あることなし


右の如く論すれは各種不平不良の徒輩は總て之を不逞鮮人と稱すへきか如くも吾人は之に對する對策上左の如き定義の下に不逞者を觀察しつつあり即ち不逞鮮人とは日本の統治に不滿を有し何等かの形式に於て之か實行を策し又は實行しつつあるもの及獨立光復を標榜する一般匪賊を謂ふ

*1:遁竄 とんざん 逃げ隠れる

*2:苟も いやしくも

*3:蟠 ばん わだかまる 蛇などがとぐろをまく