下書き

訴訟の中で明らかになった被爆者の実態


原告の方たちの実態はどれもひどかったが,ここでは三次の大江賀美子さんの事例を紹介する. 大江さんたちは,原爆投下があってから13日目の1945年8月19日に広島に入り,本川小学校で救護活動に従事した. 救護活動が終わって三次に帰ってから,倦怠感がひどい、櫛で引くと髪が多目に抜ける、下痢が続くという症状に苦しめられた. そういう時期を何とか過ごして結婚したのだが,卵巣癌,子宮癌,大腸癌など多重癌で繰り返し手術を受けることになった. 大江さんには被爆二世の一人娘がいたが,その娘も大学生の時に甲状腺癌で手術を受けた. 大江さんは原爆症認定訴訟に参加するかどうかを考える際,娘に迷惑がかかることなども考慮し,大いに迷った. 娘は結婚して二人の子どももいたし,娘の主人の勤めの関係なども気になったからだ. しかし,娘が「提訴すればいい」と言ってくれ,それが励みになり原告団に加わった


舟橋喜惠先生の原爆被害者相談員の会の協力も得て大江さんと共に三次から救護活動に参加した人の消息を調べたその結果多くの人が癌で死んでいることが分かった広島地方裁判所判決を引用すると年月日時点での生存者は名死亡者は名生存率は%でこれは年の簡易生命表による歳女性の平均生存率%と比べてはるかに低い数値だったつまり人中人の方が