『國史大辭典』吉川弘文館より【御真影】id:dempax:00100302


国史大辭典』5-p.794

御真影

ごしんえい



天皇あるいは天皇・皇后の公式肖像写真。御真影・御影(ぎょえい)・聖影などと通称されるが、正式には御写真(おしゃしん)という。国家元首としての天皇の権威を明示するために明治維新直後から、府県庁・鎮台・艦艇・大公使館など政府諸組織や外国使臣などに下付された。しかしそれが独特な役割を果たしたのは、学校に下付されてからであった。明治15年(1882)にまず官立学校に対し御真影が下付されたが、初代文部大臣森有礼は生徒・児童に臣民的感覚を啓発する一手段として、広く公立諸学校にも御真影を下付し国家祝日にそれへの敬礼を行わせしめようと意図した。同20年9月沖縄県尋常師範学校への下付を最初として、22年中には府県立学校への下付を終了させ、ついで22年12月からは市町村立高等小学校への下付が始められた。翌年月教育勅語が発布され、年月小学校祝日大祭日儀式規程が制定されるに及んで、御真影教育勅語謄本とともに学校儀式施行上不可欠のものとされたから、年月から全国の尋常小学校などへ下付された御真影の複写が許可された。尋常小学校・幼稚園へは、特に皇室と縁ある場合を除いて、原則として正規の御真影は下賜されなかったから、この複写御真影が一般に普及されたのである。こうして明治年代前半ころまでに御真影は既存の公立小学校にほぼ普及された。しかし私立学校に対する下付は、特定の学校を除いて、年から中学校・高等女学校、翌年専門学校・実業学校、大正年()にようやく小学校へも及ぶということになった。その下付に際して強制は一切行われず、すべて当該学校からの自発的な願い出にまつこととしていた。御真影には教育勅語謄本とともに最も厳重な保管が求められた。その警護を直接の契機として教員の学校宿日直制が始められ、また各学校には堅牢な奉安庫・奉安殿などが設備された。





参考文献


宮内庁『御写真録』宮内庁書陵部


佐藤秀夫『』


佐藤秀夫「」『季刊 現代史』




執筆


佐藤秀