【C】『戦場報告意見集』p.120=【E『上海より上海へ』】【4】陸軍慰安所の立札


楊樹浦路のはずれ, 呉淞に向ふ軍工路の土手を,新市街敷地の方え下ると楊家宅と云つた部落の跡があつた. この地に陸軍慰安所が,兵站司令部の経営で開業した. その立札.



【E『上海より上海へ』】陸軍慰安所の立札 楊樹浦路のはずれ, 呉淞に向う工路の土手を,新市街敷地の方へ下ると楊家宅と云った部落の跡があった. この地に陸軍慰安所が,兵站司令部の経営で開業した. その立札.(註:写真右の説明文)


昭和十三年三月十一日,楊家宅慰安所より慰安婦八人来訪し,次の事を私に訴える. 今回老人の軍医見習士官が来て慰安所の管理は自分がする,検診は週一回とする旨,そして麻生は手を引いてくれ,と. かの女らの言外の意味は現在の兵站業務の多忙に乗じた彼の私物命令らしく,現に彼はこの数日慰安所に居続けを決め込んでいて,慰安所を私物化している. 甚だ迷惑と. 即ち監督医師の個人的登楼にて,リール事件そのもので事重大.(註記:写真左の説明文, 『戦場報告意見集』では写真上に『上海より上海へ』写真右の説明文があり,左の説明文は無い)