復刻版/内務省警保局編『社会運動の状況』三一書房


4. 昭和7年 国際関係


5. 昭和8年日本共産党の運動」


3. 中央部の状況(7)


婦人部【本[1932]年1月, 中央部確立するや先ず東京市委員會の婦人部[寺尾とし『ほるぷ自伝選集/伝説の時代』p.213では1932年11月,児玉(後に風間)静子を党中央婦人部長,飯島喜美を関東の婦人部長としている]を確立し其の内の優秀分子を以て中央婦人部を確立する豫定なりしが,其の後確立せるを認めず. 婦人部の運動として山本正美は赤旗の婦人版の發行を計畫せしが,印刷所の檢擧等の為實現せずして終りたり. 山本檢擧後は松尾茂樹部長となりたるが,婦人部確立せず其の運動亦見るべきものなし

6. 昭和9年 日本共産党中央 婦人部 … コミンテルンとの連絡⇒id:dempax:19321201【入力未済み】

鹿野政直「飯島喜美 革命運動史上の光芒」


鹿野政直鹿野政直思想史論集 第六巻 個性のふるまい』岩波書店,2008/04/08 p.317-p.334


鹿野政直『歴史のなかの個性たち - 日本の近代を裂く』有斐閣選書916,1989/3/30 p.33-p.54


初出…『婦人公論』No.669(1972/2月)「埋もれた婦人運動家(2) 飯島喜美」【女工哀史で名高い東京モスリン女工タマちゃんは昭和初頭, 弾圧の嵐吹き荒ぶさなかを密航してプロフィンテルン大会に参加した. 非転向のまま24歳で獄死】[*1]


歴史のなかの個性たち―日本の近代を裂く (有斐閣選書) 鹿野政直思想史論集〈第6巻〉個性のふるまい

*1:婦人公論』1972年連載「埋もれた婦人運動家」目次⇒id:dempax:19720101

風間静子《私の運動史》飯島喜美さんの思い出

運動史研究会『運動史研究 No.5 特集 戦中から戦後へ』三一書房,1980/02/15 p.156 - p.158


風間静子[*1]「飯島喜美さんの思い出」(執筆 1979/9/6)

*1:児玉静子: 1906- 1930年モスクワで開かれたプロフィンテルン第回大会に紡績女性労働者代表として飯島喜美と共に参加. 風間丈吉委員長時代(所謂「非常時共産党」)婦人部で活躍, 熱海事件の1932年12月検挙され(官憲資料では救援部長)34年2月転向を声明, 36年出獄. その後風間丈吉と結婚…鈴木裕子『日本女性運動資料集成』別巻「索引兼人名事典」から抜粋

丸山茂樹「崩壊期の共産党の諸問題」


運動史研究会『運動史研究 No.6 (特集)崩壊期の研究』p.43-p.56


崩壊期の共産党の諸問題


問題の所在


党防衛の闘争弾圧による党中央委員会の破壊


(赤旗事件=労働者派)


(山本正美と野呂栄太郎のカムパニア中心の運動)


(佐野・鍋山の転向声明)


(スパイ査問事件)

飛田勘弍「コミンテルンと日本共産党「綱領」問題の史的展開(下)」


運動史研究会『運動史研究No.9』三一書房,1982/2/28 p.99-p.120 飛田勘弍「コミンテルン日本共産党「綱領」問題の史的展開(下)」


第5章 日本における情勢と日本革命の任務(いわゆる32年テーゼ)


(1)作成過程 p.100 飯島喜美への言及あり【31年の秋に入ると具体的な31年テーゼ批判と新テーゼ作成のための動向が見られるようになる. この時期(*a),帰国の途についた飯島喜美はモスクワからの指令を託されていた(*b). それは次のようなものであった(*c)】

(*a)飯島喜美の帰国について, 風間は「1931年8月か9月ごろ」(『「非常時」共産党』151頁), 山岸は満州事変勃発後(『不屈の青春』46頁), 山本正美は「31年秋」(『激動の時代に生きて』54頁), 内務省警保局『社会運動の状況 4』は「10月29日以前」と諸説がある

(*b)風間によれば田中すなわち山本懸蔵であろうと推論している

(*c)風間丈吉『「非常時」共産党三一書房,1976年,152頁

(現品未確認)日本共産党中央委員会『こころざしつつたふれし少女[*2]: 戦前の日本共産党員のたたかいは国民の宝』日本共産党中央委員会出版局,1993/2 60p.


天皇制政府の迫害によっていずれも20歳代前半で命を奪われた4人の女性党員、伊藤千代子、高島満兎、田中サガヨ、飯島喜美の姿を再現。


ISBN:4530043681

【1985/08/01】山本正美『激動の時代に生きて 一共産主義者の手記』マルジュ社


第1部(東洋勤労者共産大学〜プロフィンテルンでの活動)


2「クートベでの学生生活」


第2部 (日本に帰国して党再建運動)


2「中央委員会の再建へ」


3「再建後の党活動」


4「スパイ問題と転向」


5「党員群像」


に飯島喜美の回想

山本菊代『たたかいに生きて 山本菊代自伝』社会評論社,1992/7/20


I.戦前編 5.治安維持法下の政治犯 飯島喜美さんの思い出 【抄】⇒id:dempax:19920720


【奥付け著者略歴】1905年岡山県生まれ. 20年上京. 27年関東婦人同盟[*1]の活動に始まり, 非合法下の共産党に入党. 拘留・投獄の弾圧に屈せず戦い抜く. 戦後共産党に復党. 松戸市の生活擁護闘争, 母親運動の指導的活動家として闘う. 党除名後も社会主義への闘いを貫いている


ISBN:4806803014

*1:関東婦人同盟については田島ひで『ひとすじの道』青木書店を参照…『たたかいに生きて』p.17

「赤旗事件」関連「赤旗(せっき)」記事

【1】『赤旗[せっき]号外』1932/12/24 「檄!!全国の労働者農民失業者兵士諸君!」⇒id:dempax:19321224


【2】『赤旗』No.114(1933/1/20)「若干の敗北主義的分子に対する決定と宣言」⇒id:dempax:19330120


【3】『赤旗』No.127(1933/3/20)「同志××同志□□に関する処分を解除す」⇒id:dempax:19330320


【4】『赤旗』No.131(1933/4/1)「処分解除に関する決定」⇒【3】参照

鈴木祐子編『日本女性運動資料集成 第3巻 政治・思想III』不二出版


赤旗(せっき)』掲載の日本共産党中央婦人部の記事は(1)『赤旗』女性関係記事および婦人欄(婦人版)【p.374-p.422】で読むことが出来ます[*1]


【目次】


第8篇…嵐のなかの女性共産党


第1章…「女子学連」などの左翼女子学生運動


第2章…3.15事件, 4.16事件女性被告調書


第3章…「非常時」下の共産党女性活動


【1】『赤旗[せっき]』等にみる共産党女性活動


(1)『赤旗』女性関係記事および婦人欄(婦人版)【p.374-p.422】


(2)共産党文書


[以下省略]

*1:『日本女性運動資料集成第3巻』【『赤旗』女性関係記事および婦人欄(婦人版)【p.374-p.422】】に採録されていない記事は気付いたものから読めるようにしていきます(予定)

■党婦人部の独自的組織活動の領域に就て(無署名)『赤旗』No.53(1931/9/15)【白石書店復刻版II-p.47】id:dempax:19310915

■「決定」に忠実たれ!!直に婦人部活動を開始せよ(無署名)『赤旗』No.61(1931/12/23)【白石書店復刻版II-p.155】id:dempax:19311223

■[未済]国際婦人デーの闘争方針(日本共産党中央委員会)『赤旗』号外No.9(1932/02/26)【白石書店復刻版IV-p.211】id:dempax:19320226 「国際婦人デーの闘争方針」は「共産党文書」に入っている