『アカハタ』1965年7月1日〜1967年3月2日
【連載小説】山代巴「濁流をこえて」
復刻版/内務省警保局編『社会運動の状況』三一書房
寺尾とし『伝説の時代/愛と革命の20年』
寺尾とし(清家寿子)『ほるぷ自伝選集 女性の自画像 13 伝説の時代/愛と革命の20年』原本: 未來社,1980/5/1 ほるぷ ⇒ 30. 非合法活動(p.207-p.217)
飛田勘弍「コミンテルンと日本共産党「綱領」問題の史的展開(下)」
運動史研究会『運動史研究No.9』三一書房,1982/2/28 p.99-p.120 飛田勘弍「コミンテルンと日本共産党「綱領」問題の史的展開(下)」
第5章 日本における情勢と日本革命の任務(いわゆる32年テーゼ)
(1)作成過程 p.100 飯島喜美への言及あり【31年の秋に入ると具体的な31年テーゼ批判と新テーゼ作成のための動向が見られるようになる. この時期(*a),帰国の途についた飯島喜美はモスクワからの指令を託されていた(*b). それは次のようなものであった(*c)】
(*a)飯島喜美の帰国について, 風間は「1931年8月か9月ごろ」(『「非常時」共産党』151頁), 山岸は満州事変勃発後(『不屈の青春』46頁), 山本正美は「31年秋」(『激動の時代に生きて』54頁), 内務省警保局『社会運動の状況 4』は「10月29日以前」と諸説がある
(*b)風間によれば田中すなわち山本懸蔵であろうと推論している
(*c)風間丈吉『「非常時」共産党』三一書房,1976年,152頁
広井暢子『時代を生きた革命家たち』新日本出版社,1998/6/30
「モスクワで演説した女性労働者 飯島喜美」p.115-p.120
(現品未確認)日本共産党中央委員会『こころざしつつたふれし少女[*2]: 戦前の日本共産党員のたたかいは国民の宝』日本共産党中央委員会出版局,1993/2 60p.
【1985/08/01】山本正美『激動の時代に生きて 一共産主義者の手記』マルジュ社
第1部(東洋勤労者共産大学〜プロフィンテルンでの活動)
2「クートベでの学生生活」
第2部 (日本に帰国して党再建運動)
2「中央委員会の再建へ」
3「再建後の党活動」
4「スパイ問題と転向」
5「党員群像」
に飯島喜美の回想
鈴木祐子編『日本女性運動資料集成 第3巻 政治・思想III』不二出版
『赤旗(せっき)』掲載の日本共産党中央婦人部の記事は(1)『赤旗』女性関係記事および婦人欄(婦人版)【p.374-p.422】で読むことが出来ます[*1]
【目次】
第8篇…嵐のなかの女性共産党員
第1章…「女子学連」などの左翼女子学生運動
第2章…3.15事件, 4.16事件女性被告調書
第3章…「非常時」下の共産党女性活動
(1)『赤旗』女性関係記事および婦人欄(婦人版)【p.374-p.422】
(2)共産党文書
[以下省略]
*1:『日本女性運動資料集成第3巻』【『赤旗』女性関係記事および婦人欄(婦人版)【p.374-p.422】】に採録されていない記事は気付いたものから読めるようにしていきます(予定)
■党婦人部の独自的組織活動の領域に就て(無署名)『赤旗』No.53(1931/9/15)【白石書店復刻版II-p.47】id:dempax:19310915
■「決定」に忠実たれ!!直に婦人部活動を開始せよ(無署名)『赤旗』No.61(1931/12/23)【白石書店復刻版II-p.155】id:dempax:19311223
■[未済]国際婦人デーの闘争方針(日本共産党中央委員会)『赤旗』号外No.9(1932/02/26)【白石書店復刻版IV-p.211】id:dempax:19320226 「国際婦人デーの闘争方針」は「共産党文書」に入っている