日本と中國


今日,日本において昔のままの軍國主義宣傳はないが,しかし,民族主義はつよい力をもつている. 自由黨が「救國」を一枚看板にしたり,片山内閣が成立したとき,社會黨が保守との連立を合理化するために,獨特の民族危機論をあみ出したごときはそのよい例である. その根本は國難克服のために擧國一致,政治休戰,階級協調が必要だというにつきる


しかして,ここでもやはり,物がない,資源がない,人口が過剰だ,ということがその宣傳の基礎になつている. たとえば,インフレ克服問題を見ても,生産増強がなければインフレ抑止は不可能だという. これは物がなければインフレはやまないというのと同じである. しかして,その生産増強はといえば,これまた海外から物を入れて貰わねばならぬという. そして,戰前と變らぬ貿易中心主義がつよくばっこしている. 要するに,必要な國内の改革はそれを阻止し,勞働者の階級鬪爭を抑止し,資本主義萬能の方向にすべてを押し流して行くところにこの問題の本質がある. この點では,戰前のそれと全く同様である


だが,今日のこの民族主義は戰前のそれと完全に同じではない. それは戰前の日本資本主義と今日の日本資本主義が全く同一ではないのと同様である. 戰前の日本資本主義は輸出(輸入)輕工業と軍事的重工業と貧困化した國内生産部門(農業と未成熟の重工業)などによつて成立し,その上に巨大なコンツェルンが支配していた. 終戰とともに,この機構は決定的な打撃を受けたが,勞働者農民の生活改善を基盤とする國内向生産部門の再建が遲々として進まないでいるとき,貿易中心の體制や,その他の體制がつよい魅力をもつて登場してきている


ここから「救國」の名の下に,問題をつねに國外問題の方にそらして行くということが生まれてくる. とくに戰時中からうけつがれた國民の民族主義や排外思想の殘滓を最高度に利用しつつ,他方では「日本の力ではどうにもならない」という敗北主義感,または敗戰感を利用しつつ,特殊な民族主義をつくり上げている


その現象形態は實に奇妙なものである. それは舊民族主義と買辧主義の結合でもあり,またある面では,新侵略主義と「絶對平和」の結合であつたりするが,要はこの方向が今日において日本の國際平和や協調に對し,どれだけ役立つか,またそれを通じて日本の國際的地位の向上のためにどれだけ役立ちうるかが問題である. それは今日の貿易中心主義の内容を見ただけでも明瞭である


ここで,中國の民族資本の民族主義と日本のそれとを比較しておくことは興味深い. 中國の民族主義の中からは孫文のような偉大な人が生れた. その孫文の偉大さは,それが徹底民主主義や國有化等の新民主主義的政策などと不可分のものとして語られた點にあるが,孫文自身によつて民族主義の本質が反帝であることさえ公言されたことは有名なことであつた


ゆえに,これと戰時の日本帝國主義の民族主義とは全く逆のものである. 日本のそれは侵略的民族主義である


もちろん,中國には,孫文時代においても,孫文民族主義を奉ずる民族資本のほかに,それよりもより大きい「買辧」[振り仮名「マイバン」]的資本家層があり,これらは完全に親帝國主義の立場にあつた. 一般的に中國の特徴は,その資本主義的發達が未發達である關係から(資本主義として確立していない)資本家陣營の中が比較的明白に二つの陣營 -- 親帝と反帝 -- に分裂する可能性があることであり,また民族主義に反動的と革命的との區別が生れることである


その革命的民族主義は窮極において人民的な民主主義者と連合することができる. もちろん,それが階級協調主義をもち,中國において農業改革に對してさえほとんど策のなかつたことは事實である. その思想の本質はブルジョア的である. ただし,それは中國民衆の力を信じ,その主たる解放の方向を誤つてはいなかつたのである


これに反して,反動的民族主義(反動的三民主義)は汪精衞や周佛海等の中に典型的に代表される. その本質は買辧(「マイバン」)的であり,専制主義である. だがやはり,その宣傳の中では孫文などの民族主義を最高度に利用しうるし,また利用している. そのブルジョア的本質においては同様だからである


ただ,中國では,民族主義思想が一つの,ある種の進歩を代表しうる(必ずしもそうではない)點にある. もちろん,この民族主義は,それが「革命的」であつても,常に動揺し,革命に損害を與えうるものであり,その克服は極めて重大なことであるが,以上の中國の民族主義と日本との差は,日本において資本家陣營がその本來的な資本家的思想の上でかくも分裂する可能性がどこまであるか,また,資本家的思想を基本にした民族主義にして買辧的以外のものでありうる可能性がありうるかどうか,という點にある


たしかに,今日の日本資本主義の内部は深刻に對立し,拾収しえざるものにもなりつつある. 中小商工業者と大資本との間の對立もはげしい. しかし,かつて一つの資本主義として確立してきた日本資本主義内の諸分派が,その資本主義體系の基盤の上で質的に相異する對立關係に立つかどうか,--これを別の言葉でいえば,中國の買辧的資本と同じものが日本にでき上がるか,その反面,孫文のような人が出てくるか,さらに端的にいえば,資本主義的思想の本質的なものに打撃を受けずして一部の資本家層が人民の側に移行しうるか否か?


中國で民族資本といえば,中小商工業者である. これは官僚資本から見れば實にリョウリョウたるものであるが,これは中國の民族資本階級本體といつてもよいものである. 人民鬪爭の一翼をなしつつある日本の中小商工業者は,日本資本家階級全體から見れば,それらは今日ではむしろ「アウトサイダー」である


中國の民族主義と日本との比較はこれで終るわけではないが,兩國の民族主義歴史的相違についてはよく考えて見る必要がある

國際主義は自分への信頼である


最後に,國際主義と民族主義を見よう


今日,多くの日本人はこんな考え方をしている. たしかに保守の連中は國内政策ではあまり政策がない. しかし,特殊な國際的環境におかれた日本において,やはり對外問題の解決が急務であり,そのためには保守の連中もある種の價値はあるのではないか -- と


これは保守の民族主義宣傳の効果であるが,國民はその基本方向をもつと冷靜に考えて見る必要がある. 國内問題をうまく解決しえないものが國外問題をうまく解決するはずはないのである. この兩者は不可分である


今日の日本の對外問題は特殊なものにちがいないが,日本民族の完全獨立についてはポツダム宣言の中で嚴に保障されている. 「民族の完全獨立」を鸚鵡のように繰り返す人は多いが,この宣言の眞の意義について正しく語る人は少ない. この宣言が日本民族を奴隷としないと宣言したこと,その保障として民主主義を助長していること,等々は,國際主義と今日の日本の民族問題との關連を示す好例である


もちろんこの對日宣言は孤立したものでなく,クリミヤ宣言・對歐ポツダム宣言等と關連するものである上に,これは第二次大戰を通じてでき上つた世界の新力關係を直接の背景としている. それは世界の平和と自由を守ろうとする人々の力によつてのみ支えられているものである. しかも,この力とは各國における勤勞大衆の生活を改善し,勤勞大衆(「國内市場中心」)のための生産建設をなそうとする活動そのものである. それは各國において資本家的「復興」と眞正面に對立している


さらに,これを別の言葉で表現すれば,世界の平和を擁護し,國連の平和機構を擁護し,世界の一切の平和主義者・民主主義者を網羅する力でもある. しかして,これこそが,日本に繁榮せる貿易と好ましい援助を約束するものである. 今日のこの力,その在り方を正しく理解することが民族問題の根本の一つである


しかし,これは決して待てばくる日和ではない. 日本國民にはポツダム宣言の完全履行があるが,これは日本の勤勞大衆が民主主義を完全に實現すること,自分の生活をよくすること,眞の平和民主日本を作ること以外のことではない. ここで,私がとくに大切だと思うことは,國外問題と國内問題とは決して別ではありえないということである. かつて日本軍閥どもは「戰爭のためにすべてを犠牲にせよ」といつたが,勤勞大衆の犠牲だけを強いるような戰爭そのものが間違つていたのである. 今日の世界平和は,勤勞大衆の生活を改善し,日本の國民のための生産建設を保障するゆえに尊いのであり,またその平和は勤勞大衆のそのような改善的努力の上にのみ保障されうるのである. 各國内の資本家や人民の生活から浮いた戰爭や平和というものはない. ゆえに國内的には人民を壓迫するが,對外的には平和方針だということはありえないし,國外的にはなかなか遣り手だということもありえない. 日本の勤勞大衆にとつては,自分たちがいまやつている生活改善や復興のための活動の中から,それを通して世界を見れば,日本と世界との關係は極めて明白になるのである. それが正しい國際主義である


さらに,勤勞大衆にとつて,今日とくに大切なことは,自分等の力の眞に偉大な姿を知ることである「過剰」なほどある「人口」の偉大さを知ることである. その「人口」は,長い歴史の中ではぐくまれた知識と文化と技術と訓練とをもつている. しかして,それらは無政府的でなく,搾取者のためにでなく,その能力の最大限の發揚のために自らをも組織する能力をももつているがゆえに偉大である. 日本の獨占資本が自力によつて日本の經濟危機を克服しえないことは,彼等自らが告白している. その働く「人口」は,日本の經濟を國民のために再組織するだけでなく,また,農業と工業を復興しうるだけでなく,農業と工業とを正しく結合しうる力をもつ. それが勞働者と農民との同盟という意味である. それあるがゆえに,日本は國際的信頼をとりもどし,繁榮した貿易の下で世界の諸民族とともに繁榮しうるのである. この「人口」の力への自覺こそ,まさに新しい祖國意識である


これは階級性の貫徹であつて,民族主義ではない. ただ,民族主義と民族性・民族文化とは同一でないし,また民族主義は新しい祖國意識とも同じことではない. 今日の問題はどの方向が眞に民族文化を發揮し,わが國の國際的地位を高めうるかにあるのである. それは階級性と國際主義を貫く廣汎な人民大衆の新しい結合,一切の資本主義的,敗北的民族主義の克服の上にのみ可能であろう (筆者・参議院議員)