『中央公論』vol.64No.12(1949/12月号)p.64-p.69 『正木ひろし著作集 IV 政治・法律時評』三省堂,1983/04/01 p.221-p.229

自由法曹団の功罪



本誌の編集部から私に,自由法曹団の功罪について書けと指名された. 私はたしかに団員ではあるが,戦後に加入した新参者であり,その上,不便な田舎に住んでいて,団の会合にも滅多に出席せず,団の事情に疎いから,もっと適当な人を選ぶようにと固辞した上,筆の立つ,名の著名な団員を推薦した. ところが本誌の編集者は,それらの人々は自由法曹団の功を書くには,適するが,罪を書いてくれるかどうか疑問だというのである


なるほどそう言われて見ると,私の推薦した人々はみな共産党員か共産主義色彩の濃厚な人々で,たとえそれらの人々が,本当のことを言っても,世間の耳には,すべて共産党的の立場から物を言っているようにひびき,素直に受取られないかも知れない. そしてどうやら最近の自由法曹団に対する非難は,団があまりにも共産党になりすぎているという点にあるらしいので,私のごとく真っ向から共産主義に反対している団員の方が公平の感じを与えるのだろうと考え,引き受けた


自由法曹団は,もちろん,共産党の出店ではない. 出店だったら私は加入しなかったであろう. また出店となったら私はいつでも脱退するつもりだ. しかるに世間では,自由法曹団共産党の法律部だと誤解している向きがある. 現に私が団員なるがゆえに,共産主義者だと思っていた人もあり,私に脱退を勧告した友人もある. 私もあまり人に言われるので,考えたことがあるが,どう考えても自由法曹団共産党の出店であるという結論にはならなかった


現在,団員は全国で約110数名ある. その中で,はっきり共産党員だと名乗りをあげているのが20名ほどで,20名の中には,共産党選出の代議士,上村進,梨木作次郎,林百郎,原田香留夫,田中堯平,加藤充等の諸氏もふくまれている. のこりの約100名は政党に関係のない純粋な法律家や共産党以外の政党関係者で,社会党代議士の足立梅市,武藤運十郎,坂本泰良,労農党代議士黒田壽男の諸氏も団員となっている


その他,自由法曹団の元老や幹部の名を見ても,田坂貞雄,山崎今朝弥,和光米房,吉田三市郎,江橋活郎,長野国助等の諸氏は同時に各自の所属する弁護士会に重きをなす長老であって,共産主義者でないことはあきらかだ. ただ幹事や常任幹事の中に共産党員または共産主義者が半数ぐらい混じっているので,しぜん共産党関係の事件も多く,共産党的の物の考え方や法廷戦術といったものが混入して来る危険もあると思うが,それらは決して自由法曹団の本質ではなく,団としては,共産党の出店となることは自由法曹団の自殺であるとして,常にそれを警戒している. 現に,団の長老であり,自身共産主義者である布施辰治氏も,私が本誌の原稿を引き受けて後に,氏に自由法曹団のもっとも警戒すべき点は何かと問うたのに対し,同様な見解を述べられたのである. また,同氏は「われわれは大衆の犠牲になっても,大衆をわれわれの犠牲にしてはならない」とつけ加えられた. この言葉は,弁護士としての氏の決意を語ったものであろうが,同時に自由法曹団に対する警告でもあると思った


自由法曹団大正8年の創立である. 戦時中は中絶して昭和20年10月に再発足した. 団の功罪を語るには,戦前と戦後に分けて論じなければならないはずであるが,私は不幸にして戦前の自由法曹団については伝聞以外にほとんど知らない. 記録でもあるかと思って団の本部へ行ってみたが,戦災ですっかり焼けてしまって,何も残っていないとのことだった. しかし,すでに世に知られているところだけから見ても,当時の天皇制的非人道に対する反抗として,またその被害者に対する人道的救援を目的として立ち上がった進歩的の在野法曹の集団であったことは間違いない


今日,「進歩的」というと,それはただちに「共産主義的」という言葉の代用語のごとき変な錯覚を強要されるが,当時の自由法曹団が進歩的であったというのは,頑迷古陋に対する生物進化論的の進歩を意味し,共産主義とは関係なかった. もっとも当時における最大の社会悪は,閥族,大資本家,官僚等が,その飽くことを知らない動物的貪慾を満たすために,天皇の絶対性を利用し,民衆を愚昧にし,無抵抗にすることに共通の利益を痛感し,これを法制化して,その搾取を安全かつ容易ならしめんとするところに根本的の原因があったので,この根本原因にメスを入れ,民衆を覚醒させようとするあらゆる主義や運動に対しては,彼等は彼等の共同の敵と見なし弾圧したが,なかんずく,彼等の守り本尊であり隠れ蓑である天皇制そのものに手を触れんとする共産主義者に対しては,彼等は彼等の生存条件を否定する最悪の兇敵と考え,あたかも飼主に歯向かう家畜を撲殺せんとするごとき心をもって迫害した. これは今日,新憲法によって国民の永久の権利として認められた基本的人権の最小限度の要素すら奪ってしまう非人道の極致であったから,なにびとといえども人間の血のかよっているかぎり黙視できないはずであって,当時の自由法曹団の人々が,主としてこの最大の受難者である共産主義者に対する無料弁護や救援に向けられたのは,人道を護る人間良心の発動であって,かならずしも共産主義そのものを護るためではなかった


自由法曹団の人々は過去において,普通の弁護士が相手にしないような貧乏人や,時の官権から極悪犯人と定められた人たちの人権を擁護して来た. それは人情の極致であるとともに人間最高の理性の要請でもあった. 東京裁判において,アメリカの弁護士たちが,東条その他の弁護に立ったのは,あらゆる思想や階級を越えた向う側に,永遠の人道が横たわっているのを知っていたからであろう. もしその確信なく,敵国の元兇たちの弁護を引き受けたとしたら,それは猿芝居であって,世界の人類を侮辱する前に自己の理性を侮辱することになるだろう


終戦後私が,団に加入したのは,再発足をした団の中に,その伝統が残っていることを知ったからである. いな,率直にいうならば,自由法曹団以外に,日本の何処に正義を護り理性を尊ぶ法曹団を発見することができようかと思ったからである. 現在,全国の弁護士の数は6000名を下らないし,各地方にそれぞれ弁護士会あり,東京には三つあって,それらが全部連合して日本弁護士会連合会という巨大なる団体を結成し,完全無欠なる会則を作った. 私は会員の一人として,その発展を祈ってやまないものであるが,一方において正義は理性や美と同じように,多数決とは関係がないということを忘れることはできない.


私が自由法曹団に加入したのは,日本弁護士会連合会の前身である大日本弁護士会連合会に絶望したからだった. 同会は昭和20年8月20日附,総務理事第二東京弁護士会会長(当番)林逸郎,東京弁護士会会長高橋義次,第一東京弁護士会会長豊原清作三氏の名を連ねた司法大臣岩田宙造氏宛の公文書をもって,治安維持法違反,不敬罪その他その内容が今後の国際修好に不都合をきたすおそれのある事件の訴訟記録は,これを焼棄すること,を建議し,同じく9月24日には東久邇総理大臣あての公文書で,裁判所を司法官の監督下より離脱せしめ,天皇の直隷ならしむること,を建議している. いかに終戦直後の混乱期とはいえ,これらの建議の内容はあまりにも不見識ではあるまいか. 治安維持法不敬罪の存在こそ,戦前戦時中の国民の良心的自由を拘束し,身動きできないようにさせた悪法中の悪法であったことは,すでに痛感していなければならない常識的人間感覚ではあるまいか. また今日の刑事訴訟法に大変革をあたえた根本的動機であるところの,旧日本の拷問が,治安維持法ならびに不敬罪の被告人に対してもっともはなはだしく,むしろ治安維持法の制定とともに公然化した事実を知らぬ弁護士はあるまい. 日本の刑事法制の改革はまずこの根本的事実を明るみに出し,公然たる批判の対象たらしむるところから始めなければならないことは,合理的精神の一片たりとも持ち合わせている者にとって,当然中の当然と感ずべきことでなかったろうか. それをなにごとぞ,日本の全弁護士の名をもって治安維持法ならびに不敬罪等の事件記録を焼棄せよとは. これは日本の侵略主義的戦争に対し,国民が反戦運動を起し得なかった国際的恥辱を世界にむかって弁明すべき有力なる証拠物件を国民の手から永久に奪うとともに,戦争責任を全国民におい被せんとする陰謀にあらずんば,驚くべき無智といわなければならない. 彼等が在来の天皇の名による絶対主義的裁判になんらの不審も屈辱をも感ぜず,進んで終戦後においても,その直隷下における裁判を望むというのは,彼等がとうてい世紀の人類文化に縁なき衆生たることを告白するもので,その後数年ならずして施行された民主的憲法および天皇の名によらざる裁判法規を,彼等がはたして心から受け入れ,これを理解し運用しうるやいなや多大の疑問を感ぜずにはいられない. もとより私は,かかる建議事項が,前期の三会長の個人的の意思であったとは断定しない. 日本弁護士会連合会には会則があって,その機関を通じて審議され可決された事項を総務理事たる資格において発表したものと思う. そのゆえに,一層この愚かな建議が日本の在野法曹一般の素質に関連して変えなければならない事柄となるのだ


自由法曹団が,かかる非民主的,無智,無反省な集団的臭気に飽き足りない弁護士たちの渇を医やす目的をもって,横断的な集団の一つとして結成されたことは,きわめて自然である


再発足の自由法曹団は,その規約に「本団は民主主義的平和国家建設の基礎である人権の擁護並に伸張並に法制の徹底的革新を期することを目的とする」としている. このような条項は,戦後に創設されたほとんどあらゆる社会運動団体に共通な題目であり,ことに法曹関係の諸団体には「人権」または「基本的人権」という文字のついていないものはない. 自由法曹団におくれて設立された「自由人権協会」はもちろん,その他,私の知らない人権擁護ないしは民主主義実現のための法曹団体は,全国にその数は少なくないと思う. しかるに自由法曹団が独り顕著であり,おそらくもっとも有力であるのは,古い歴史があるばかりでなく,何よりも現在多数の闘士を持ち,主義綱領の紙の上の宣伝に終わらず,勇敢に,組織的に,実践しているためであると思う


団が再発足して以来,団の活動した仕事は非常な数にのぼっている. 新聞その他によって世間に知られている事件だけを拾ってみても,プラカード事件,海員ゼネスト事件,オリエンタル写真工業,愛光堂印刷,日本タイプ,東洋時計,東実撮影,扶桑金属,東芝等の諸会社に対する生産管理または仮処分事件,川崎市役所に対する食糧要求に関する刑事被告事件,美唄炭礦における人民裁判被告事件,横浜人民電車,埼玉県寄居朝鮮人殺害事件,神戸朝鮮人学校事件,松山町における巡査の朝鮮人傷害事件,首相官邸前の朝鮮人デモ事件,深川事件,板橋事件,政令第201号取消し申請訴訟事件,「真相」名誉毀損事件,三鷹事件等が挙げられるであろう


これらは,なんらかの意味で新聞紙に載った事件であるが,その他にも団としてとり上げた事件は相当の数にのぼり,また右に挙げたような大事件には,往々派生的にいくつかの事件をひき起こすもので,それらはみな,団として処理しなければならず,また団員は団関係以外の個人的受任事件や新聞雑誌等に対する執筆等もあるので,団員の仕事は超多忙であることは想像にかたくない


団の功罪を論ずることは,結局これらの具体的事件に対する団の活動が,日本の文化にとって,どれだけのプラスになり,どれだけのマイナスになったか,ということの究明にならざるをえないのであるが,実際問題として,右に挙げた事件も,完了したものよりは未完了のものが多く,また完了したものでも,その効果は軽々に判断しがたいものがあるので,きわめて概念的に,そして多分に私個人の主観の混ざることを承知の上で綜合判断するよりほかに道がない


id:dempax:19491214 へ続く