峠三吉「1950年の8月6日」『原爆詩集』から
(id:dempax:19910725)
1950年の8月6日
『原爆詩集』から
走りよってくる
走りよってくる
あちらからも こちらからも
腰の拳銃を押えた
警官が 馳けよってくる
1950年の8月6日
平和式典が禁止され
夜の町角 暁の橋畔に
立哨の警官がうごめいて
今日を迎えた広島の
街の真中 八丁堀交叉点
Fデパートのそのかげ
供養搭に焼跡に
花を供えて来た市民たちの流れが
忽ち渦巻き
汗にひきつった顎紐が
群衆の中になだれこむ,
黒い陣列に割られながら
よろめいて
一斉に見上るデパートの
五階の窓 六階の窓から
ひらひら
ひらひら
夏雲をバックに
蔭になり 陽に光り
無数のビラが舞い
あお向けた顔の上
のばした手のなか
飢えた心の底に
ゆっくりと散りこむ
誰かがひろった,
腕が叩き落した,
手が空中でつかんだ,
眼が読んだ,
労働者,商人,学生,娘
近郷近在の老人,子供
8月6日を命日にもつ全ヒロシマの
市民群衆そして警官,
押し合い 怒号
とろうとする平和のビラ
奪われまいとする反戦ビラ
鋭いアピール!
電車が止る
ゴーストップが崩れる
ジープがころがりこむ
消防自動車のサイレンがはためき
二台 三台 武装警官のトラックがのりつける
私服警官の堵列[とれつ]するなかを
外国の高級車が侵入し
デパートの出入口はけわしい検問所とかわる
だがやっぱりビラがおちる
ゆっくりと ゆっくりと
庇[ひさし]にかかったビラは箒をもった手が現れて
丁寧にはき落し
一枚一枚 生きもののように
声のない叫びのように
ひらり ひらりと
まいおちる
鳩を放ち鐘を鳴らして
市長が平和メッセージを風に流した平和祭は
線香花火のように踏み消され
講演会,
音楽会,
ユネスコ集会,
すべての集りが禁止され
ロケット砲の爆煙が
映画館のスクリーンから立ちのぼり
裏町から 子供もまじえた原爆反対署名の
呼び声が反射する
1950年の8月6日の広島の空を
市民の不安に光を撒き
墓地の沈黙に影を映しながら,
平和を愛するあなたの方へ
平和をねがうわたしの方へ
警官をかけよらせながら,
ビラは降る
ビラはふる
峠三吉『原爆詩集』【出典】
初出…『われらの詩』No.12(1951/09/20) 同時期,自家製孔版印刷500部製作
峠三吉『原爆詩集』青木文庫-48- 解説…なかの・しげはる,1952/6/15(初版) 1964/10/1(7版)
峠三吉『新装・愛蔵版 原爆詩集』合同出版,1995/03/15[*1]
峠三吉・増岡敏和編『詩集 にんげんをかえせ』新日本出版社,1995/01/30[*2]
峠三吉『原爆詩集』岩波文庫 緑206-1 ,2016/07/15 解説…大江健三郎「『原爆詩集』を読みかえす」,アーサー・ビナード「日本語をヒバクさせた人」
原文漢数字「一九五〇年の八月六日」を算用数字「1950年の8月6日」に改めた
参考文献
村中好穂/原水禁運動の誕生と日本共産党 日本共産党中央委員会理論政治誌『前衛』1985/7月号 p.36 http://d.hatena.ne.jp/dempax/19850701
山代巴『山代巴文庫第II期第4巻 原爆に生きて』径書房,1991/07/25
牧原憲夫『山代巴 模索の軌跡』而立書房,2015/04/25
永田浩三『ヒロシマを伝える 詩画人・四國五郎と原爆の表現者たち』WAVE出版,2016/7/31
巻頭カラー8頁 峠三吉『原爆詩集』表紙絵(謄写版3色印刷)[1951], サダコ[1988], 被爆遺跡が消える[1992]…他
「孺子の牛」id:tetuo0208:20160920