@yukiさんの投稿から抄録
https://mobile.twitter.com/yk264/status/1061901444255633408?p=v
Mステ出演取りやめに関して人種主義と植民地主義の問題があるって認識している人でさえ「あのTシャツは趣味が悪いと思うけど」って公言してしまうのだから、植民地マインドは根深いよな。加害した旧帝国の立場から反帝国主義ナショナリズムの表現に文句言うって
原爆の記憶をその一側面として戦後にも(アメリカ帝国主義の内部に組み込まれて)生き延びた日本の帝国的ナショナリズムと、朝鮮半島の反植民地主義・反帝国主義ナショナリズムはその内実も世界史の中での歴史的位置も異なる
日本人が直接的にTシャツ批判したらあれだからって冷静なフリで「でも原爆の被害者には朝鮮の人も含まれていて」とか言いだすのも、余計なお世話でしょう
リベラルぶった物言いの中に見えるpatronizingな態度が本当に気に食わない
明らかに自分の意見はお呼びでないというときに「黙っている」ことがそんなに難しいかな
これが唯一正しい態度、というのはないと思います。強烈なイメージに反応するのは当然だし、意見を表明することが常に駄目とも思わないのですが、誰がどの立場から意見するのか、という問題を考えるのが大事な場面なのではないかと思っています。個人的には原爆の歴史もよく理解している韓国の友人の顔が思い浮かぶので、私がなにか言うよりも、彼女たちの意見をまず聞きたいな
https://mobile.twitter.com/yk264/status/1062129891808669696?p=v
韓国内でも Tシャツの表現についてはいろんな議論が出てくる。自分のナショナリスト的感情の傷つきではなく核のない世界のためにTシャツの表現に問題を感じるなら まずこういう人たちの意見に耳を傾けるべき
Tシャツの表現に問題があると思って 韓国の人たちに原爆のことを考えてほしいと思っているとしても 光復節の文脈や旧宗主国としてのポジションを無視して「Tシャツ悪趣味」と公言することは 韓国の国内で 原爆の歴史を知った上で表現の見直しを求める人達の助けになっていないのではないか
結局「リスペクト」と「信頼」みたいなところに行き着くのかな…相手のことをリスペクトし 信頼して 黙ってしばらく待つこと。誰がどの立場から どのタイミングで何をいうのか 意見の中身だけでなくそういうことが重大な意味をもつ場面だから…
https://mobile.twitter.com/yk264/status/1061169961932967937?p=v