『心理戦 尋問報告 第二号』/吉見義明『従軍慰安婦資料集』を読む

"「民間が慰安婦集め」【ワシントン=古森義久】[本文省略]米軍調査「日本軍は利益得ず」"【産経新聞2007/05/12の3面(総合14版)】読解の参考資料として『従軍慰安婦資料集』の該当箇所を写経してみた.


最初に古森記事

[...]


報告書は米国陸軍の戦争情報局審理戦争班により第二次世界大戦中の1949年9月に作成された.「前線地区での日本軍売春宿」と題され,同年8月にビルマ北部のウェインマウ付近で米軍に拘束された日本人の慰安所経営者(当時41歳)の尋問結果が主に記録されている.


この経営者は,日本人の妻(同38歳)と朝鮮女性の慰安婦20人とともに米軍に捕まった.この慰安婦尋問結果をまとめた報告書は別に存在し,日米両国の研究者などのあいだで参照されてきたが,経営者だけについての報告書は公開の場所で論じられることが少なかった.


[...]

==ni0615さんの御教示により古森記者が使った史料判明 古森記者コメントを引用追記 2007/05/28 (新しい史料≪経営者だけについての報告書≫がみつかったと勝手に早とちりした読者のあたしが馬鹿でした)==

2007/05/27 13:31
Commented by 古森義久 さん

ni0615さん


まじめなご質問だと思って,お答えします.


しかし,なにかキーの打ち間違いその他で,以下の記述にミスがあっても,ここは産経新聞の紙面ではありませんから,必ずしも責任は持てませんので,念のため. あくまで私の私的な説明です.


  --
引用者疑問点:産経新聞2007/05/12記事【産経新聞2007/05/12 3面(総合14版)】での≪戦時の日本軍の慰安婦に関して,日本側の民間業者が慰安婦候補とした女性家族にまず現金を支払って彼女らを取得していたことを示す米陸軍の調査報告書があることがわかった≫=新史料が発見されたように読める.≪この経営者は、日本人の妻(同38歳)と朝鮮女性の慰安婦20人とともに米軍に捕まった. この慰安婦の尋問結果をまとめた報告書は別に存在し,日米両国の研究者などの間で参照されてきたが,経営者だけについての報告書(=新史料が発見されたかに読める)は公開の場で論じられることが少なかった≫という無知なのかデマなのか出鱈目なのかいづれにしろ読者を馬鹿にした記事==≪両国の研究者≫を≪公開の場で論じられることが少なかった≫と誹謗している点でも問題だ==についての責任はどうなっているのか
  --


"A Japanese Army Brothel in the forward area"という題の文書(報告書)は,South-East Asia Translation and Interrogation Center という組織が出した Interrogation Bulletin No.2 のなかに含まれています. このBulletin の日付は1944年11月30日です.


この報告集は9本の個別の報告書から成っており,その一つ(最後の第9の報告書)が前記の「日本軍の売春宿--」なのです. だからそのタイトルは中見出しではありません. 他の8本はまったく別件ですから.


そして「日本軍の売春宿--」という報告書は先の1944年9月21日付の尋問報告書を基礎にしている,と記されています.


  --
引用者注記:古森記者は自分が何を書いているかわからなくなってしまったのだろうか.[5月12日記事では≪慰安婦採用の過程については日本軍が「許可」あるいは「提案」したとされ,経営者の女性集めはすべての個々人に現金をまず渡していることが明記され≫軍隊が人身売買を要請し,費用を出し,輸送その他の便宜をはかった=金一勉『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』によれば兵士29人に「慰安婦」ひとりの割合=古森用語で軍隊≪買春宿≫の背後には日本軍の関与があったと明記してしまった. 2007/05/28 12:18の古森コメントでは5/12記事を5/18記事にすりかえながら=自覚症状無し?での詭弁?=,≪あなた方が知っているのに,自分たちの政治的主張に都合が悪いため,あえて無視,軽視してきた資料ですよね≫と続けている居直っている.]
 
引用者注記その2:以下の古森コメントは論点のすり替え. 「心理戦尋問報告第二号 9 前線地域における日本軍慰安所」冒頭に"Note:The following is derived from interrogation at C.S.D.I.C.(I) of M.739, and from O.W.I. Interrogation at Ledo Base Stockade of 20 Korean "comfort girls",Report dated 21 Sept. 1944."[『従軍慰安婦資料集』訳文"注 以下の記述は,CSDISC(I)において行われたM739の尋問,ならびに戦時情報局によりレド捕虜収容所において行われた朝鮮人慰安婦」(20名)にたいする尋問(1944年9月21日付報告)に基づくものである"]とあるとおり≪1944年9月21日付の尋問報告書≫が≪経営者[民間人の慰安所経営者M739とその妻]だけについての報告書≫ではなく="朝鮮人慰安婦」(20名)にたいする尋問"の報告を含む=ことは明らか. ≪経営者だけについての報告書≫またはひとりひとりの尋問についての報告は別にあるのだろうが,≪存在した≫あるかもしれない≪経営者だけについての報告書≫を使ったかの記事は捏造記事と呼ぶしかないだろう.
  --


あなたが日本語で「報告日1944年9月21日」と訳している部分は


Report dated と Rが大文字になっているので,やはりそこにもう一つ「報告書」(9月21日付の)が存在したのだと思います.


【出典:古森記者のblog 2007/05/14 22:59 "米軍も日本側の慰安婦は民間調達と認めていた." http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/171421/ コメント欄いちばん下の方】


なお『従軍慰安婦資料集』資料No.103[p.491-p.562]は"日本軍隊における生活利便施設(ATIS調査報告 第120号)1945/11/15"


==05/28追記ここまで==



吉見義明『従軍慰安婦資料集』(大月書店1992/11/27 isbn:4272520253)から写経*1してみる.


【p439】

第一三部 連合国軍による調査報告・指令


一 ビルマ


99 *2
アメリカ戦時情報局心理作戦班
日本人捕虜尋問報告 第四九号 一九四四年一〇月一日 [写経にあたり以下No.99本文『従軍慰安婦資料集』p.452まで省略]


【p.453】

100
東南アジア翻訳尋問センター
心理戦 尋問報告 第二号 一九四四年一一月三〇日


部外秘

    心理戦 尋問報告 第二号
    東南アジア翻訳尋問センター監督官
    アメリカ陸軍歩兵大佐  
    アレンダー・スウィフト
    心理戦 尋問報告 第二号
    一九四四年一一月三〇日


【p.454-457】省略


【p.458】[写経にあたり漢数字をアラビア数字に改めた箇所があります*3]

9 前線地域における日本軍慰安所

     注
      以下の記述は,CSDIS(I)において行われたM739の尋問,ならびに戦時情報局によりレド捕虜収容所において行われた朝鮮人慰安婦」(20名)にたいする尋問(1944年9月21日付報告)に基づくものである.*4
     情報提供者
      1944年8月10日,ワインマウ付近において妻および20名の陸軍慰安婦とともに捕虜となった民間人の慰安所経営者M739.


M739と妻と義姉(妹)は,朝鮮の京城で料理店経営者としてかなりのお金を稼いでいたが,商売が不振に陥ったため,より多くの金を儲ける機会を求めて,朝鮮からビルマへ「慰安婦」を引き連れて行く許可を京城の陸軍司令部に申請した. この捕虜の言によれば,その示唆は陸軍司令部から出たもので,朝鮮に在住する何人かの同じような日本人「実業家」に打診された.


M739は,朝鮮人未婚女性22人を買い受けたが,彼女らの両親に対する支払額は,それぞれの性格,容貌,年齢に応じて300円から1000円であった. これら22名の女性の年齢は,19歳から31歳であった. 彼女たちは,この捕虜の独占財産となったのであり,軍は彼女たちの人身売買からは何らの利益も得なかった. 朝鮮軍司令部は,日本陸軍のあらゆる司令部宛ての書面を彼に渡したが,それは輸送,食料の支給,医療など,彼が必要とするかもしれないすべての援助を差しの


【p.459】

べるよう,各司令部に要請するものであった.


M739とその妻は,料理店の経営を義姉(妹)に委ねたうえで,1942年7月10日,買い受けた女性22名を引き連れ,703名の女性(すべて朝鮮人)と90名ほどの日本人男女(ほからなぬ彼と同じように人格低劣な連中)の一行で釜山を出航した. 彼らは,7隻の護送船団を組み,4000トンの客船で航行した. 無料の渡航券が軍司令部から提供されたが,渡航中のすべての食事の代金はこの捕虜が支払った. 彼らは台湾とシンガポールに寄港し,台湾ではシンガポールへ向かう女性が新たに22名乗船し,シンガポールで全員が別の船に乗り換え,1942年8月20日にラングーンに到着した.


[...]

以下464頁までM739とその妻が経営する「慰安所」と「慰安婦」の実態と歴史に続くのだが,「慰安婦集めの強制性」にこだわる古森記事 *5 とは関係なくなるので省略.



==2007/05/14 5:25追記==

吉見義明 解説「従軍慰安婦と日本国家 第8章ビルマにおける慰安婦慰安所」『従軍慰安婦資料集』p77-79より

ビルマには推定で約3200名の朝鮮人・日本人慰安婦がおり,ほぼ同数のビルマ慰安婦がいたのではないかという説があるが(千田『従軍慰安婦』正編),正確なことはわからない. 資料99・資料100は,アメリカ軍の捕虜となった慰安業者夫婦二名と朝鮮人慰安婦20名に対して,アメリカ戦時情報局(OWI)レド本部心理作戦班のアレックス・ヨリチ(依地)軍曹(日系)らが尋問した大変興味深い資料である(資料103にも収録されている). 同班に属して自らも尋問したカール・ヨネダによれば,ヨリチ軍曹は2週間にわたって一人ずつ詳細に調べ,膨大な報告書をつくってOWIレド本部に送ると大評判になったというから(カール・ヨネダ『アメリカ一情報兵士の日記』),もっと詳細な報告書が出てくる可能性がある. なお,森山康平『太平洋戦争写真史 フーコン・雲南の戦い』には,ミッチナの臨時抑留所で撮影されたこの慰安婦たちとヨネダの写真がある.


この資料によれば,1942年に朝鮮人慰安婦703名がビルマに送られた. また,慰安婦たちは傷病兵の看護の仕事などとだまされて,親に前渡し金を渡すのと引き換えにビルマに連れてこられた. この業者の場合,朝鮮軍司令部の斡旋で,22名の未婚女性に関し,一人当たり300円から1000円の前渡し金を親に払って,慰安婦を徴集している. しかし,この業者は料理屋が不振で慰安業者になったのだから,そんなに資金をもっているはずはない. したがって,この金は軍から出たにちがいない. 渡航費は無料で,ビルマでは部隊ごとに配属され,この業者は小倉歩兵第一一四連隊付となった. 一一四連隊がいたミッチナ(ミートキーナ)には「キョウエイ」「キンスイ」「モモヤ」(共栄・錦水・桃屋か)の慰安所があり,前二者は朝鮮人慰安婦,モモヤは中国人慰安婦であった,とある(筆者が,一一四連隊の元兵士に尋ねたところ,桃屋は確かに記憶があるとのことであった). また,医療・交通は軍が便宜をはかり無料だった. また,前借を返し終えた慰安婦も帰国することができなかった,とある.


この資料を読めば,これらの慰安婦の多くはだまされて連行され,慰安婦となることを強要されたこと,慰安所の経営は事実上軍の丸がかえであったことなどがよくわかる. また,20名の朝鮮人慰安婦の年齢は,徴集当時21歳未満の未成年者が12名もおり,最低年齢は17歳であったこと,2名がいなくなっていること(爆撃による死亡)も重要である. 慰安婦は最高で月1500円を稼いだが,半分は業者が取り,また,食費をはじめ衣服・日用品など諸費用の名目で多額の金を取り上げている.


[...以下省略]【出典:『従軍慰安婦資料集』p77-78】

従軍慰安婦資料集』解題 p.597より

100 心理戦 尋問報告 第2号(1944/11/30)


アメリ国立公文書館所蔵. 共同通信社提供.


South-East Asia Translation and Interrogation Center,Psychological Warfare Interrogation Bulletin,No.2(11/30/1944)の抄訳. タイプ印刷. これも*6共同通信社が発見し,1月31日[1992年]の各紙で報道された.


関連リンク

13日の水曜日 2007/05/13 もしかして本当にまだ解ってないのか? http://azuryblue.blog72.fc2.com/blog-entry-138.html


誰かの妄想 2007/05/13 備忘録・日本人捕虜尋問報告 第49号に関し気になった点(追記ありhttp://ameblo.jp/scopedog/entry-10033444895.html


美しい壺日記 2007/05/14 [慰安婦問題]産経が14年前の調査結果を新資料のように報告する http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-65.html


彎曲していく日常 2007/04/14 拉孟の慰安婦たち http://d.hatena.ne.jp/noharra/20070414


従軍慰安婦の深層 http://d.hatena.ne.jp/abesinzou/


blog*色即是空 http://d.hatena.ne.jp/yamaki622/


ATiS Research Report No.120(1)AMENiTies in the JAPANESE ARMED FORCES II.Amusement 9.Brothels
『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』5 米国国立公文書館所蔵資料(龍溪書舎出版)p.137-155 [日本語訳概要 p.105-110] http://www.awf.or.jp/program/pdf/ianfu_5.pdf (pdf 英文192-175,日本語訳概要110-115) *7



==2007/05/25 0:05 補足説明追記==
 
ATiS Research Report No.120(1)AMENiTies in the JAPANESE ARMED FORCES II.Amusement 9.Brothels 『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』5 米国国立公文書館所蔵資料(龍溪書舎出版)p.151[pdf:179/294]頁左下
b.BURMA
(1)A prisoner of war,a civilian brothel-owner captured with his wife and twenty army protitutes near WAINGMAW on August 1944. stated:
から始まって,p.153[pdf:177/294]頁右中央あたり c.SUMATRAの前
"The women were medically examined once weekly but men could also obtain cintment(similar to that in American ETtubes)on application to troop headquarters.(Source available on request)"
までが『心理戦 尋問報告 第二号』9 "前線地域における日本軍慰安所"の内容に相当=Stiffmuscleさんによる対訳[p.153左中央(2)項まで]が"美しい壺日記"2007/05/21連合軍通訳翻訳部(ATIS)調査報告第120号(1945年11月15日) http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-68.html に掲載されています.
 
なお『心理戦 尋問報告 第二号』(1944/11/30)の目次は次のとおり.(『従軍慰安婦資料集』では4,9を所収)

  1. ビルマにいる日本軍に対する連合国側宣伝の効果
  2. 対日宣伝における「べし・べからず集」(ある捕虜の手記)
  3. 『軍陣新聞』のある号について捕虜が詳述した批判
  4. 悪名高い丸山大佐
  5. 日本軍将校による兵士の人命軽視
  6. 増援部隊の混成による難点
  7. ビルマへの増援部隊兵士の平均年齢
  8. 日本軍隊内の平和主義者
  9. 前線地域の日本軍慰安所

via 産経新聞ニュース特集:慰安婦問題 http://www.sankei.co.jp/news-special/0037/nsp0037.htm
[国際]慰安婦「契約の下で雇用」米陸軍報告書,大戦時に作成【ワシントン=古森義久】2007/05/18 03:34
については 以下を参照ください

参考図書:

*1:同書頁毎写経し頁を明記しました

*2:99:『従軍慰安婦資料集』での資料No.

*3:原典英文の表記に戻したわけです

*4:CSDIS:『従軍慰安婦資料集』p458に誤植/正しくはCSDIC(Combined Services Detailed Interrogation Centre) 誰かの妄想2007/05/19産経症・今さらだけど、古森氏の記事参照

*5:「軍が要請し資金を出した」と≪皇軍の恥部≫をいばられても,某管理売春組織のバックにいる暴力団代紋の自慢話にしか聞えないのはあたしだけ??

*6:"これも"に対応するのは資料No.99

*7:13日の水曜日 2007/05/13 コメント欄 05/13 20:30 eichelberger_1999氏のコメントを参照しました