沖縄タイムス http://www.okinawatimes.co.jp/

2005/08/27 「集団自決」の真実探る/渡嘉敷などで証言聞く http://www.okinawatimes.co.jp/day/200508271300_09.html

2005/08/29 住民被害の実相学ぶ/戦跡でフィールドワーク http://www.okinawatimes.co.jp/day/200508291700_06.html


沖縄タイムス 戦後60年関連の特集 http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu.htm

沖縄タイムス平和web 戦後60年関連記事 目次 http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/

2005/04/01 戦前X年 vol.4 家族と戦争
沖縄ジェンダー史研究会・宮城晴美さん(55) 戦時下の女たち 戦力のため子を産み育て
津多則光 天皇制の支柱 国あっての家 意識すり替え
http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/senzenx20050401_03.html


2005/06/06-10 [座談会・戦争と記憶―戦後60年]
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[リード]

今年は沖縄戦から六十年. 戦争と記憶, 記憶の継承などをめぐり, 沖縄大学助教授の屋嘉比収, 戦争体験の調査などをする女性史研究家・宮城晴美, 島クトゥバで戦争体験を語ってもらい映像で記録している琉球弧を記録する会の比嘉豊光の三氏に議論してもらった.

(1) 座談会 http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/zadan20050606.html
体制に流される姿今も・宮城
字誌に携わり戦後実感・比嘉
10年前の作業を再検証・屋嘉比

やかび・おさむ 1957年生まれ. 九州大学大学院修了. 沖縄大学助教授. 日本近代思想史専攻. 共著に「日本文化を考える」など.

ひが・とよみつ 1950年, 読谷村生まれ. 写真家. 琉球弧を記録する会代表. 写真集に「赤いゴーヤー」「光るナナムイの神々」など.

みやぎ・はるみ 1949年座間味村生まれ. 女性史研究家. 著書に「母の遺したもの」「座間味村史」(全3巻), 「那覇女性史」(全3巻)などを編さん.

(2) 島クトゥバの証言 http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/zadan20050607.html
方言だから構えない・宮城
語り手との間に信頼・屋嘉比
表情まで一緒に記録・比嘉

(3) 加害と被害 http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/zadan20050608.html
「集団自決」の本質を・宮城
状況の変化で立場逆・屋嘉比
戦争の見極めが重要・比嘉

宮城晴美 「平和」のとらえ方でも, 価値観の相違がある. 自衛隊員の募集で「平和を愛する」というキャッチコピーが使われる. 憲法九条の問題でも, 「平和のために九条を変える」という言い方がされる. 沖縄の人たちは戦争体験から, 武力によらない平和を考えるが, 平和を勝ち取るために武力もやむを得ないという考え方も一方ではある.

自由主義史観」の人たちが先月沖縄に来た. 私の母の「集団自決」は隊長の命令ではなかったという証言を, 私が『母が遺したもの』という本で書いた. その中から「隊長は命令しなかった」という都合のいい部分だけを拾い出し, 横浜の公立の中学校の先生が授業で使うためのモデルをつくった.

そのモデルでは「集団自決」がなぜ起こったのかという問いかけはない. 生徒からの想定の質問にも入っていない. 「皇軍(旧日本軍)の名誉回復」という視点で, 授業が組み立てられている. これを「平和」という言葉で高校生たちに教える. この手法は恐ろしい. これを容認する組織が堂々と沖縄にきて座間味島に渡った. 六月四日には集会を開いたという. 隊長が命令しなかったという視点の裏側には, 住民が勝手に死んでいったというとらえ方や歴史を脚色して後世に伝えようとする「好戦派」のグループの動きがある.

それに対し, 地元で受け入れる人がいることも, 戦争体験継承の手法の複雑さという現実があるのではないか.

自由主義史観」の人たちの眼中に, 沖縄住民の悲惨な戦争体験はない. 身近な人も含めてしょせん相いれない人たちと, 今後どう対峙するかが課題だと思う.

屋嘉比収 個別的な軍命の有無という問題は, そんなに重要ではない. なぜなら沖縄戦で軍が住民に強要したことは事実だから. それを問わず, 一部だけを流用して「集団自決」はなかったとするあり方は厳しく批判しないといけない. 比嘉さんの映像の仕事は, 結果的には事実を矮小化しようとするあり方に対する批判にもなっている.

比嘉豊光 やんばるでの戦争体験, 伊江島の体験, 糸満の体験ではそれぞれ違う. 軍との関係や立場とか, 多様な背景がある. それでも証言者たちは最後には一様に「イクサやシチャナラン」, 戦争をしてはいけないと語る. 日本軍と一緒に逃げた人もいるし, 日本軍に壕を追い出されて大変だったという人もいる. 日本兵に自分たちの親子を殺された人, あるいは反対にアメリカ軍に助けられ, 自分たちが山にいる人たちを助けに行った人もいる. アメリカ兵の中には捕虜にする前に, 女性を追いかけ回し暴行した者もいた. 日本軍に助けられた人, 反対に殺された人もいる. とにかくさまざま. 多様な戦争体験があるが, 証言者は最後には「イクサやならんどぅ」という. それを受け取る側がどうするか. まだ僕も分からない. 今は証言を聞く段階で答えはわからない. ただ証言を撮る作業は続けたい.

わかりやすい例は, 厳しい話だが, ひめゆりとか美化された人たちは, 日本軍と行動していたということ. また美化された体験の多くは住民を壕から追い出した人たちの物語. それもまた, 一つの戦争体験でそれをせめることもできないだろう. 物語化された戦争からは本当の姿は見えない. 証言を取り続けている途中だが, そんなことを考える.

宮城 日本軍には沖縄の人もいた. 地元出身の兵事主任在郷軍人会の存在も無視できない. 私の母も日本軍の斥候をしていた. 「日本軍」としての母の存在があり, 本を書く中で母を告発しなければならない状況にまで追い込まれた. 日本軍は“ヤマトンチュ”だけではないことを認識すべきだ. 自分が加害者になる可能性を忘れてはいけない.

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(4) 新たな戦前 http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/zadan20050609.html
加害者になる可能性・屋嘉比
責任の所在見えない・宮城
継承の仕方いろいろ・比嘉

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宮城晴美 「集団自決」では, 親が子どもを殺すということがおきた. 私の身内の例でいうと, 祖父が自分の妻や子どもたちの首を切り, 最後には自分も首を切った. そして, 結果として息子が一人死んでしまった. 戦後生き残った家族は悲惨なわけです. おじいさんは「加害者」よばわりですよ. 祖父母の間もうまくいかなくなる. 少なくともはた目にはそう見えました. 祖母が早く殺してくれと騒いだことで, 米軍が目の前に来ていますから, 祖父が手をかけた. そのことで息子が死んだ. 祖母も自分自身の罪の意識があったと思う. その辛さを祖父にあたった. 私の親族の場合はそうでした.

 座間味では「集団自決」の場で親せきでなければ手をかけなかったが, 一カ所だけ, 役場の村長以下職員, その家族が入っている壕があって, そこはどんな武器が使われたか分からないが六十七人全滅です. だから, 座間味は戦後は役場職員が一人もいない状況でスタートした.

 その壕で, 娘を亡くした母親が戦後ポナペから帰ってきた. 沖縄で学校を出すために, 島のおじいさん, おばあさんの所に娘を預けて自分たちは南洋で働いていた. 戦後, 戻ってきて娘が死んだことが分かり, 娘を殺したのはだれかと, 犯人捜しを始めたという話がある.

 憤りの対象は本当はアメリカや戦争を起こした日本国家のはずだが, 小さな島の中では身近な人に向けられた. 実際戦争になると, 責任の所在が見えなくなっていく. そのことを私たちはきちんと伝えていかないといけない.

 先を見ながら事前に食い止めることも, 私たちの作業として, やらないといけないことではないか. 常に今の体制がどうなっているのか, 自分たちが置かれている状況がどうなっていて, 少なくても自分がやれることを自覚し, 行動する必要がある. 反対の声を上げるとか.

 これが沖縄の人たちの戦後六十年で, 教わってきたことじゃないのかと思う. 状況が変われば変わるほど, 何をしなければならないのかをもっと認識しないといけない.

 比嘉豊光 自分たちが認識する前に, 社会の中にもその風潮がないとどうしようもない. 戦争を考えることも, 毎年の行事のようになる. 行事というのはその時にしかやらない. その間にも体験者は死んでいく. そういう意味では, 毎年毎年どんどん薄くなっていく. それを厚くする努力が必要だと思う. 島クトゥバでの証言を撮る仕事もその一つだと考えている.

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(5) 集団自決 http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/zadan20050610.html
証言者の表現大事に・宮城晴美
共有することが大切・比嘉豊光
当事者の矛盾に思い・屋嘉比収

宮城晴美 「集団自決」という用語の問題で, 「集団死」という言葉を使うべきだという指摘もある. しかし, 「集団死」を使うという理屈は十分理解しているが, 私は「集団自決」にこだわっている. 用語の問題では島の人たちも困惑している. 例えば, 毎年, 本土から来る小学生の「平和学習」を受け入れているが, 子どもたちは事前学習で「集団死」と教わってくる. ところが, おばあさんは「集団自決」という言葉を使う. 子どもたちはきょとんとする. 子どもたちが「なぜ『集団死』をしたんですか」と質問すると, 今度はおばあさんが困惑する. しまいには, もう証言したくないという人も出てきている.

私は学生時代から聞き取り調査をしているが, 最初, 証言者たちは「玉砕」という言葉を使っていた. 「玉砕」は死を美化した理不尽な言葉なので, 私は表記を全部「集団自決」にした. 一九五〇年発行の『鉄の暴風』以来, 四十年余り使われてきた「集団自決」という用語は歴史用語になっていると思う. 特に, 女性・子どもの死が多いのはどうしてなのか, 米兵にレイプされるより「死」を選択せざるを得なかった理由は何だったのか, 何も解明されていない.

長年, 「集団自決」という言葉で住民の悲惨な体験が語られてきた以上, この言葉で軍隊, 天皇制国家を告発していく必要があると思っている. 皇民化教育をベースに推し進められた家父長制の性道徳を背景に, 軍隊のみならず男性たちによって, 女性・子どもが「死」に追いやられたと思っているから. 女性にとっては屈辱以外の何ものでもないレイプを, 「慰みものにされる」と表現する男性たちがいるが, そこにすべてが集約されていると思っている.

それだけに, やっと口を開き始めた人たちの表現を大事にしたい. 語らせることを最優先すべきだ. しかし, 戦後の記録者の都合で言葉を変えるということは, 証言者を混乱させ, ますます本質を見えにくくしているのではないかという思いがある.

やはり語らせるということは, 記録する側にも責任が伴う. 証言者の気持ちを後世にどう伝えるのかという責任も最近感じている. そういう意味で, 映像は記録としては最高の資料だと思う.

比嘉豊光 ビデオで撮影しながら, 本当に十年遅かったと思うことがある. あのおじいを撮っておけばよかった, ということも考える. そんなことをいっても仕方がない.

言葉の問題でいえば, 伊江島のおばぁたちは「自爆」という言葉を使っていた. 僕は気にしなかったが, 東京で上映したとき, 沖縄では「自爆」というのかとずいぶん聞かれた. 当時どういう用語を使っていたかは, 住民の置かれた状況と密接に結びついているので, 用語はそのままの方がいい.

屋嘉比収 「自由主義史観」の問題でいえば, 宮城さんは母親さえも告発しなければいけないような思いで『母が遺したもの』を書いたという. 自由主義史観の人たちが, 宮城さんの本の中から「隊長の軍命はなかった」という部分だけを取り上げて「集団自決」はなかったと矮小化した. それに対して, 宮城さんの書き方も問題だったんじゃないか, という指摘もある. しかし, 自由主義史観の人たちが, 一部だけを取り上げて矮小化したことが問題なのであって, 母親を告発する覚悟で書いた宮城さんを批判するのは向かう矛先が間違っている.

宮城 隊長の命令がなかったと証言したために, 母は島で攻撃を受けた. それから母はすごく落ち込んで, 結局はがんで亡くなってしまうが. 母は歴史を曲げてきたという思いがあって隊長が生きている間に, きちんとしたいという思いがあった.

私は, 隊長の命令はなかったと書いたが, その本には当時島がどういう状態であったかも具体的に書いてある. それを読めば, 読者は, 島の人たちが勝手に死んでいったとは思わないはず. 「玉砕するから集まれ」と各壕を回る伝令の役場職員がいて, 彼が来たことで, 島の人は隊長命令だと思った. それまで陣地を構築するとか, 食糧増産など島の人を集めるときはその伝令が来たから. 激しい砲弾の中で伝令が来たことは, 隊長の命令だと島人に理解された. しかし, 命令があったかどうかというより, 皇民化教育は国のためには「死」を惜しまないことを教えており, 「集団自決」は敵を目前にした住民の必然的な行為だった, つまり国家によって殺されたといえる.

命令しなかったという隊長はそれじゃ許されるのかというと, そうではない. 彼の戦後の生き方が問題だ. 自分の身の“潔白”を証明しようと, 手段を選ばず, えげつない方法をとってきた.

屋嘉比 「集団死」という用語については, 八〇年代の教科書裁判で事実性が争われた中から構築された意義を認めながらも, 「集団死」という用語を使うことで, 逆に見えなくなる部分があるのではないか.

例えば, 渡嘉敷島の「集団自決」の生き残りである金城重明さんは, 肉親を米兵にじゅうりんされるより, 愛するがゆえに自分自身で手をかけたことを証言している. 体験者でない私たちが「集団自決」を考えるとき, 自分がその場にいたらどうするかと, 考えることが重要だと思う. そして, 愛するが故に手をかけたという当事者の矛盾した行為の意味を考え続けることが必要だ. その矛盾の意味を考えるために, 非体験者の自覚として「集団死」ではなく, あえて形容矛盾を含んだ語句である「強制的集団自殺」という用語に私はこだわりたい.

また, 「新たな戦前」の中で, 非体験者である私たちが戦争体験を継承するときに, 米軍基地や自衛隊などの現実問題から, 沖縄戦を振り返り, 沖縄戦の記憶を自覚的につないでいくことが重要だと思う.

比嘉 証言を撮ることの意味もそこにある. 今は戦争体験者が「戦やならんどぅ」と, 全員が言える世代になった. 五十代で社会の一線にいるときには言えなかった. 一線を退いたから, そのおじいたちも全員が「戦やならんどぅ」という. 戦争がどういうものかを社会で共有していくことが大切だと思う. (おわり)

12日に上映会

島クトゥバで語る沖縄戦の証言映像の上映会とシンポジウム「戦争と記憶 島クトゥバで語る戦世―500人ノ記憶―」は十二日午後一時半から, 那覇市ぶんかテンブス館で開かれる. 入場無料.

【上映会】I部=午後1時30分―午後3時30分(以前に撮影した証言から)▽II部=午後3時40分―午後4時40分(今年撮影した証言映像から)【シンポジウム】午後5時30分―. パネリスト=目取真俊氏(小説家), 知念ウシ氏(むぬかちゃー), 高良勉氏(詩人), 比嘉豊光氏(琉球弧を記録する会), コーディネーター=仲里効氏(『EDGE』編集長). 問い合わせは, 沖縄タイムス読者センター, 電話098(860)3041.

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2005/06/14-07/05【連載】「集団自決」を考える

  1. 挑まれる史実(1) 「軍命」否定 沖縄戦に的 http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/jiketu20050614.html
  2. 挑まれる史実(2) 「捕虜になるな」死を覚悟 過ちの正当化へ警鐘 http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/jiketu20050615.html
  3. 挑まれる史実(3) 軍隊の残虐行為を免罪 論争再燃 教科書記述減る http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/jiketu20050616.html
  4. 挑まれる史実(4) 植えつけられた恐怖心 「幻の敵」におびえ死選ぶ [座間味島] http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/jiketu20050617.html
  5. 挑まれる史実(5) 家族を手に掛けた苦悩 消せぬ軍の「強制」事実 [渡嘉敷島/金城重明] http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/jiketu20050618.html
  6. 前川民間防空壕群(上) 手りゅう弾次々さく裂 6カ所で20人余が犠牲に http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/jiketu20050619.html
  7. 前川民間防空壕群(下) 軍が渡した手りゅう弾 命絶つのは「教え」だった http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/jiketu20050620.html
  8. 糸満・カミントウ壕(上) 手りゅう弾携えて合流 22世帯計58人が命絶つ http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/jiketu20050621.html
  9. 糸満・カミントウ壕(下) 軍民混在, 悲劇の引き金 捕虜になること許さず http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/jiketu20050622.html
  10. 伊江村(上) ガマの120人爆雷で絶命 疎開できず住民巻き添え http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/jiketu20050623.html
  11. 伊江村(下) ダイナマイトで兄死ぬ 隣壕で上がる煙が引き金 http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/jiketu20050625.html
  12. サイパン(上) 南洋でも軍国主義教育 デマにだまされ命失う http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/jiketu20050626.html
  13. サイパン(下) 家族を全員失い孤児に 61年経ても癒えぬ傷 http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/jiketu20050627.html
  14. 泊町「第三避難壕」(1)「最期の場所」掘りに動員 兵隊や教師から死の教唆 http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/jiketu20050628.html
  15. 泊町「第三避難壕」(2)死を覚悟していた住民 「最期は一緒に」黙々と http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/jiketu20050629.html
  16. 泊町「第三避難壕」(3)沖縄襲う爆音とどろく 戦闘可能な者は全員入隊 http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/jiketu20050630.html
  17. 泊町「第三避難壕」(4)非戦闘員は陣地の外へ 軍に選択された「命」 http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/jiketu20050701.html
  18. 識者に聞く(1) 安仁屋政昭沖国大名誉教授 すべてが軍の統制下に 足手まとい恐れ死選ぶ http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/jiketu20050702.html

Q: 国や自由主義史観研の主張する「集団自決」とは.

A:「たとえば日本兵によるガマからの追い出し, 食糧の強奪, 住民殺害など皇軍の残虐行為を免罪しようとする意図がある. 住民が犠牲的な精神によって『集団自決』を遂げ, 皇国に殉じたという主張を浸透させたいのだ. これは, 一九八八年二月の教科書裁判沖縄出張法廷でも明らかになっている. 自由主義史観研の主張もこのような流れを受けてのものだろう」

A:「自由主義史観研は渡嘉敷島座間味島の『集団自決』だけをみて, 部隊長命令がなかった. だから軍命がないとしている. だが, 重要なのは軍による直接の命令の有無でなく, 大局的に当時の沖縄の社会状況や支配構造をみる必要がある」

19 識者に聞く(2) 石原昌家沖国大教授 住民には当てはまらぬ 実態ゆがめる教科書懸念 http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/jiketu20050703.html

Q: 教科書から軍命による「集団自決」の削除を求める自由主義史観研究会の動きをどう見るか.

「彼らは集団自決という言葉を通して, 沖縄戦が『軍民一体』の戦闘だったという考えを国民の意識の中に浸透させようとしている. 国内が戦場となった場合を想定した国民保護法などの有事法制を推進する政府を支持する立場にあるからだと考える」

「国民が『軍民一体』の意識を持たないと有事法制は稼働しないし, 今後, 米軍と一体となって自衛隊が海外で戦闘参加する際も都合が悪い. 有事法制に『魂を込める』ためにも, 日本国内で唯一, 県内全域が戦闘地域となった沖縄戦の書き換えをしなければならないと考えているのだろう」

「住民が自ら望んで軍と戦って死を選択したのが沖縄戦の実態だと歪曲し, 日本軍の加害行為を否定する歴史修正主義者の仕掛けたわなに引っかからないことが重要」

Q:「集団自決」という表現を使うべきでないと主張していますがその意図は.

「『集団自決』という言葉をたとえカギカッコ付きであっても使うべきではない. 自決というのは自らの意思によって死んだという意味. したがって, 軍人が自らの責任をとって死ぬことに使うことはできても, 語句本来の意味から, 住民に対しては集団自決という用語は使用できない. 集団で命を絶った実態は, 日本軍の作戦による強制や誘導, 命令によるものだったので『強制集団死』 『強制死』として本質をとらえ直さなければ, 真実を見誤ってしまう」

「『集団自決』という言葉を使い, 軍命があったと主張することは沖縄戦が軍民一体の戦闘だったと解釈される. それは自由主義史観研究会や政府の土俵に乗ってしまうことを意味する」

20 識者に聞く(3) 林博史関東学院大教授 命令有無こだわり不要 前提に「逆らえない体制」 http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/jiketu20050704.html

Q: 集団自決」に至る背景をどうとらえますか.

「直接誰が命令したかは, それほど大きな問題ではない. 住民は『米軍の捕虜になるな』という命令を軍や行政から受けていた. 追い詰められ, 逃げ場がないなら死ぬしかない, と徹底されている. 日本という国家のシステムが, 全体として住民にそう思い込ませていた. それを抜きにして, 『集団自決』は理解できない. 部隊長の直接命令の有無にこだわり, 『集団自決』に軍の強要がないと結論付ける見解があるが, 乱暴な手法だろう」

Q: 沖縄戦で住民が置かれた社会状況や支配の構図は.

「軍人がいると住民は投降できない. 投降できないとしたら, 壕に隠れていて, 攻撃されるしかない. あるいは, 軍人がいなくても在郷軍人など軍の意思をたたき込まれた者が『集団自決』の口火を切る」

「沖縄のような島では, 逃げ場がなく, 教育も徹底している. 役場も軍も, そこから言われたことはお上の『命令』である. 村の幹部らが『集団自決』を主導したとしても, 幹部自体が国家の末端だから, 『村が勝手にやった』とはいえない. 軍の免罪にはならない. 個々の軍命令かどうかは, 必ずしも重要ではなく, 住民が追いつめられ, 『自決』しかないと思い込ませる状況をつくったのは軍を含めた国家だということが前提になる」

Q: 軍民雑居や皇民化教育といった影響が大きいと.

「軍がいなかった島では『集団自決』はほとんど起きていない. 移民帰りの人だけでなく, 戦争に疑問を持つ人, 民間人が戦争で犠牲になることはない, と素直に考える人はいた. 地域のリーダーらが, 『死なないで生きよう』と言える状況にあったかどうか. 軍が居ればまず言えない. 慶良間のように小さな島では, なおさらだ」

21 識者に聞く(4) 渡名喜守太沖縄学研究所員 沖縄戦書き換えを危ぐ 先人の教訓今生かす時 http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/jiketu20050705.html

Q: 沖縄戦の「書き換え」が起きている背景は.

「一昨年ぐらいから, 漫画家の小林よしのり氏らが, 慶良間諸島の『集団死(いわゆる集団自決)』を足掛かりに, 沖縄戦の書き換えに挑んできた. そこには『国民の歴史』をつくろう, という意図が読み取れる」

「国民とはナショナリズム, つまり同質性で一体化した集団に統合された近代国家の国民という意味. 国民の歴史にとって, 加害や抑圧, 侵略の史実は排除したいという思いが働く. 沖縄戦でいえば, 軍によって住民が死に追いやられた『集団死』は, 都合が悪いとなる」

Q: 自由主義史観研究会が「集団自決強要」を否定する運動を始めた.

「基本的な流れは同じ. 朝鮮半島への侵略や『従軍慰安婦問題』の史実の書き換えを主張し, 次は沖縄をターゲットにすることは予想できた. 『集団死』を入り口にして, 沖縄戦で軍の名誉回復を図る. 沖縄戦で, 『住民は軍に協力し一体となって死んでいった』という『軍民一体の勇戦』に書き換えたいのだ」

「今回の研究会の動きの中では顕著ではないが, 小林氏の見方には, 沖縄戦を軍国の美談にし, 新しいナショナリズムの核にしようという狙いが感じられる. 県民は再び同じ道を歩まないためにも, 沖縄戦の書き換えを許してはならない」

Q: そうした主張が受け入れられやすい環境にあるのだろうか.

「専門家からみれば, おかしいと分かるし, 沖縄で受け入れられるとは思わないが, 一般の人が真に受けるのが怖い. 彼らは沖縄側との論争ではなく, 本土でキャンペーンに訴えて, 既成事実化を狙っている」

ナショナリズムの担い手=右派, 民族主義者という分かりやすい構図ではなくなっている. 最近では, インターネットなどを通じたナショナリズムが生まれ, 若い世代を中心にすそ野が広がり, 『草の根保守』といわれる状況がある」

2005/06/23-06/24「戦争と記憶」シンポジウム
[「戦争と記憶」シンポ](上) 島クトゥバの語りに意義 表現豊か 証言に現実味 http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/shinpo20050623.html
[「戦争と記憶」シンポ] (下) 変わらぬ差別の構造 言葉の歴史的背景で議論 http://www.okinawatimes.co.jp/sengo60/tokushu/shinpo20050624.html




産経新聞 2005/07/24 沖縄戦集団自決「軍命令」…出版物・教科書で独り歩き http://www.sankei.co.jp/news/050724/morning/24pol003.htm


産経新聞 2005/07/24 沖縄守備隊長遺族, 大江氏・岩波を提訴へ 「自決強制」記述誤り,名誉棄損 http://www.sankei.co.jp/news/050724/morning/24iti002.htm





産経新聞 2005/07/24 沖縄戦集団自決「軍命令」…出版物・教科書で独り歩き http://www.sankei.co.jp/news/050724/morning/24pol003.htm

集団自決が軍の命令だったとされてきた“歴史”が法廷で争われることになった. 沖縄戦が住民を巻き込んだ悲惨な地上戦だったことは事実だが, 軍の残虐性を示す“証拠”の発端は, 島の長老と生存者による遺族のための悲しい口裏合わせだったという. 最初に書かれた沖縄タイムス社の『鉄の暴風』の記述は大江健三郎氏の代表作『沖縄ノート』だけでなく, 故家永三郎氏の『太平洋戦争』など多くの出版物や教科書で独り歩きしている. 主なものを拾った. (教科書問題取材班)

◆鉄の暴風

《恩納河原に避難中の住民に対して, 思い掛けぬ自決命令が赤松からもたらされた》

《住民には自決用として, 三十二発の手榴(しゅりゅう)弾が渡されていたが, 更にこのときのために, 二十発増加された. 手榴弾は, あちこちで爆発した. …阿鼻叫喚の光景が, くりひろげられた》

座間味島駐屯の将兵は約一千余, …隊長は梅沢少佐…. 米軍上陸の前日, 軍は忠魂碑前の広場に住民をあつめ, 玉砕を命じた. …村長初め役場吏員, 学校教員の一部やその家族は, ほとんど各自の壕で手榴弾を抱いて自決した》

沖縄ノート

《慶良間の集団自決の責任者も, そのような自己欺瞞(ぎまん)と他者への瞞着(まんちゃく)の試みを, たえずくりかえしてきたことであろう》

那覇空港に降りたった, 旧守備隊長は, 沖縄の青年たちに難詰されたし, 渡嘉敷島に渡ろうとする埠頭(ふとう)では, 沖縄のフェリイ・ボートから乗船を拒まれた. かれはじつのところ, イスラエル法廷におけるアイヒマンのように, 沖縄法廷で裁かれてしかるべきであったであろうが, 永年にわたって怒りを持続しながらも, 穏やかな表現しかそれにあたえぬ沖縄の人々は, かれを拉致しはしなかったのである》

◆太平洋戦争

《沖縄の慶良間列島渡嘉敷島に陣地を置いた海上挺進隊の隊長赤松嘉次は, 米軍に収容された女性や少年らの沖縄県民が投降勧告に来ると, これを処刑し, また島民の戦争協力者等を命令違反と称して殺した. 島民三二九名が恩納河原でカミソリ・斧(おの)・鎌などを使い凄惨(せいさん)な集団自殺をとげたのも, 軍隊が至近地に駐屯していたことと無関係とは考えられない. 座間味島の梅沢隊長は, 老人・こどもは村の忠魂碑の前で自決せよと命令し, 生存した島民にも芋や野菜をつむことを禁じ, そむいたものは絶食か銃殺かということになり, このため三〇名が生命を失った》

◆教科書

《日本軍にスパイ容疑で殺されたり, 「集団自決」を強制されたりした人々もあった》《軍は民間人の降伏も許さず, 手榴弾をくばるなどして集団的な自殺を強制した》(日本書籍新社の中学歴史)

《日本軍によって集団自決を強いられた人々やスパイ容疑・命令不服従などを理由に殺された人々もおり…》(実教出版の高校世界史)

《犠牲者のなかには, 慶良間諸島渡嘉敷島のように, 日本軍によって「集団自決」を強要された住民や虐殺された住民も含まれており…》(桐原書店の高校日本史)

《日本軍に「集団自決」を強いられたり, 戦闘の邪魔になるとか, スパイ容疑をかけられて殺害された人も多く, 沖縄戦は悲惨をきわめた》(三省堂の高校日本史)

《戦陣訓によって投降することを禁じられていた日本軍では, 一般住民にも集団自決が強いられたり, スパイ容疑や戦闘の邪魔になるとの理由による住民虐殺もおこった》(東京書籍の高校日本史)

産経新聞 2005/07/24 沖縄守備隊長遺族, 大江氏・岩波を提訴へ 「自決強制」記述誤り,名誉棄損 http://www.sankei.co.jp/news/050724/morning/24iti002.htm

先の大戦末期の沖縄戦で日本軍の命令で住民が集団自決を強いられたとする出版物の記述は誤りで, 名誉を棄損されたとして, 当時の守備隊長と遺族が著者でノーベル賞作家の大江健三郎氏と岩波書店を相手取り, 損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こすことが二十三日分かった.

訴えを起こすのは, 沖縄戦座間味島を守備した陸軍海上挺進隊第一戦隊長を務めた梅沢裕・元少佐(88)と, 渡嘉敷島を守備した同第三戦隊長だった故赤松嘉次・元大尉の弟, 赤松秀一氏(72).

訴えられるのは, 『沖縄ノート』(岩波新書)の著者の大江氏と, 他にも故家永三郎氏の『太平洋戦争』(岩波現代文庫), 故中野好夫氏らの『沖縄問題20年』(岩波新書)などを出している岩波書店.

訴状などによると, 米軍が沖縄の渡嘉敷島座間味島に上陸した昭和二十年三月下旬, 両島で起きた住民の集団自決について, 大江氏らは, これらの島に駐屯していた旧日本軍の守備隊長の命令によるものだったと著書に書いているが, そのような軍命令はなく, 守備隊長らの名誉を損ねたとしている.

沖縄戦の集団自決をめぐっては, 昭和二十五年に沖縄タイムス社から発刊された沖縄戦記『鉄の暴風』で, 赤松大尉と梅沢少佐がそれぞれ, 両島の住民に集団自決を命じたために起きたと書かれた. この記述は, 沖縄県史や渡嘉敷島渡嘉敷村)の村史など多くの沖縄戦記に引用されている.

疑問を抱いた作家の曽野綾子さんは渡嘉敷島の集団自決を取材し『ある神話の風景』(昭和四十八年, 文芸春秋)を出版. 座間味島の集団自決についても, 生存者の女性が「軍命令による自決なら遺族が遺族年金を受け取れると島の長老に説得され, 偽証をした」と話したことを娘の宮城晴美さんが『母の遺したもの』(平成十三年, 高文研)で明らかにした.

その後も, 昭和史研究所(代表・中村粲独協大教授)や自由主義史観研究会(代表・藤岡信勝拓殖大教授)が曽野さんらの取材を補強する実証的研究を行っている.