藤井日達「原子力と人類の将来」(抄)

原子力と人類の将来



人間は出来そうな事を何でもやつて見度いという傾向がある. それが個人の成長ともなり,社会の発達ともなる. しかし,酒を飲む事も賭博に耽る事も喧嘩をする事も,これ又出来ることでもあり,やつて見たいことでもある. けれどみだりに酒を飲み賭博に耽り喧嘩することは,個人の成長,社会の発達のためには数々の弊害となる. そこで此らの事を禁止せねばならなくなる



それが出来ることでもありやつて見度いことであつても,それをやつてはならないことがある,是を悪という. 又反対にそれを是非にやらねばならないこともある,是を善という, 又それをやつてもやらなくてもどちらでも差支え無いこともある,是を無記という. 此の善悪無記の三大分別は,凡そ人間が社会生活を営む所には,何れの時代に於いても何れの地域に於いても行はれておる. 是を社会通念と呼ぶ. 此の社会通念を集大成したるものが所謂る道徳律である. 此の道徳律を尊重し護持する時代は,個人も円満に完成し社会も健全に発達する. 此の道徳律を軽蔑し破棄する時代は,個人も堕落し社会も混乱する. 暴力万能は其の時代の特徴であり,殺人破壊は其の時代の技術である


仏法の中に其の時代相を「白法隠沒[*1]」「闘諍堅固[*2]」と説いてある


現代国際間の戦争には道徳律や宗教的禁戒の如きは何等の役にも立たぬ. 道徳律や宗教的信念を固執する者は,国賊と呼ばれ刑罰を被る. 戦争の最終の判決は唯だ勝敗の一点である. 戦争をすれば勝たねばならぬ. 勝たんが為には相手の戦争能力を無くさんとして,相手の軍隊をより多く殺傷する事が古来の常識であつた. 然るに第二次世界大戦の末期の廣島,長崎の原子爆弾に代表される相手の最弱点たる老若男女を,無差別に大量にしかも一瞬に,最も惨酷に殺傷し,都市を破壊することによつて勝利を収める米国の戦略爆撃と称する戦法が行われ,戦争形態は著しく変化した.


一旦原爆使用に興味を覚えた米国は終戦後も愈々国力を挙げて原爆の製造蓄積に懸命である. ひとり米国のみならず,蘇連も英国も亦ともに同一軌道を走つて居る. 人間は出来る事は何でもやつて見度いという,素朴な衝動に駆られて科学を進歩させたものの,その進歩の絶頂に於いて,人類生活に最大極度の不幸,文明破壊の可能性が顕著になつてきた


科学・経済・政治等現代文明の総てが奉仕する所は悉く世俗的価値である. かつて宗教道徳が厳重に抑制を加えたる五欲[*3]の満足,世俗的幸福を無上のものとしている. そのために生産力を増大して欲望を充足させれば一切の社会悪を解消して,現実の社会生活は直ちに楽園化するという. そのような唯物論的人生観をもつて真実の宗教道徳を否認し,更に交換手段の貨幣を地上の神として尊崇給仕し,此の畸形的身体に信仰的熱情を傾ける. 此の如くにして知らず知らずの間に人間の精神的顛倒が発生し,栄華を誇る近代文明の社会は一挙にして無限地獄の業火に焼き盡くさるる危険に直面しつつある.


原水爆戦争は無道徳の社会生活を営む人間の上に下されたる天罰である


近代文明の初頭に掲げられたる標語に自由・平等・博愛の三つがある. 此の中博愛は科学にも政治にも経済にも何所にも見当たらない. 宗教道徳を否定する所に博愛のありようがない. 平等は多数人が小数支配者に対する自由の要求に外ならない. そこで現代文明の特色は自由を追及し自由を主張する處にある


科学も自由の制約から人類を解放せんとして発展した. 政治でも経済でも総て自由主義の思想に動かされたるものは,道徳,宗教の制約から解放されることを主張した. 自由の一言は道徳,宗教以上の神聖なる金言とされた. その自由と称する領域には,善をなす自由はかえつて道徳宗教に連なる故をもつて影を潜め,悪を主張し悪を為す自由が眞の自由の如く想われた. このような道徳,宗教の制約から解放された自由の増大とは,即ち人間社会に罪悪を増大させる詭弁に過ぎなかつた


近代人が自ら文明人と称し,科学技術を誇る時,人類は最大の野蛮への退歩となる危険に直面する. 原水爆戦争は正に人類の戦争史上のみならず,生物の闘争史上にも未曾有の野蛮状態の演出である


娑婆世界の教主釈迦牟尼世尊は,妙法蓮華経の中,如来寿量品第十六に,はるかに現代末法悪世[*4]の相と,その救済の門を説かれた



衆生劫盡きて


大火に焼かるると見る時も


我が此の土は安穏にして


天人常に充満せり


園林もろもろの堂閣


種々の寳を以つて荘厳し


寳樹華果多くして


衆生の遊楽するところなり


諸天天鼓を撃つて


常にもろもろの伎楽をなし


曼陀羅華をふらして


佛および大衆に散ず


我が浄土はやぶれざるに


しかも衆は焼けつきて


憂怖もろもろの苦悩


かくの如き悉く充満せりと見る



これは人間が自ら人類全滅の惨禍を被る可き呪はしき時代を作る. そのときは無間地獄の大火災が地上に燃え出て一切を焼盡すと予言された経文である


この大火焼き盡す惨禍を遁れ出る門は唯だ一つ開いておる. 此の天上地界水中の三界を総て殺人の戦場と見る軍人政治家の邪見を排除し,反対に此の国土世間は神聖なる本来の浄土と信じたときに,衆生の所作は人を楽しましむる遊楽となり,生産は園林堂閣種々の寳となり,此の世界は浄土の教主大覚世尊と,総聞の大衆と,その説法の金言とが等しく尊崇せられて,常に花を捧げ奉る荘厳なる式場となる. 此の国土世間を離れずして,しかも浄土の本質的実在を信じ,浄土教主の常住の説法を信じ,浄土建立の菩薩行を行うことは,即ち我々人間に究極にして根本的な目標を得ることである. 人間をして肉体的生存の現実から離れること無く,しかも尊高無上の目標を探求せしめ,これに到達せんが為に永遠の生命を豫想して努力精進せしむること,これ即ち宗教活動であり,この宗教的信念以外に人類の自滅を救う道を見出すことは出来ない


南無妙法蓮華経




*1:白法隠沒=びゃくほういんぼつ…悪法が栄えて善法が亡びること

*2:闘諍堅固…個人,社会,国家の間に対立抗争が盛んになること

*3:五欲…財欲・食欲・色欲・名誉欲・睡眠欲

*4:末法悪世…釈尊の滅後二千年過ぎた時代で白法隠沒闘諍堅固の世相を呈する現代のこと