2. 鮮外不逞鮮人發生の経緯

由來朝鮮民族水草を追ふ浮遊性を有する民にして生活の安きに就かんとして去來常なく殊に辺境地區に於ては定住土着のもの甚た多からす爲に古來境を越へて滿洲・西伯利に移住し國家施政威力の稀薄なる地區に居を構へて原始的生活を營み人跡稀なる未墾地を開拓して生活の安定を求め遂には歸化せるものさへあり性來斯の如くなるに加へて當時韓國の庶政無秩序となり官吏の誅求其の度を加ふるに於て益々越境移住の機運を促進し俄に接壤國外への移住者を増加し日韓併合當時に於ては遠く南米にすら朝鮮部落を見るに至り主として農業に依りて生活の安定を得んとするもの遂年其の數を増し海外移住者は無慮50萬と稱する盛況を爲せり是等移住者中には政治上志を得すして反對派に追はれ又は不満の結果海外に走れるもの等亦■からす而して其の有識者は該地方の有力者として移住鮮人の牛耳を執りしものとす


一方朝鮮に於ては併合問題解決を告け大勢の歸する所自ら定まり政綱革新して庶民漸く其の堵に安んし守備隊・警務機關等具さに備はり復匪徒の蠢動を許さす茲に於て頑冥不良の徒黨は殆と相率いて國境外に亡命するに至る而して鮮内に殘留し國外亡命者と気脈を通して亊を起さんとせしもの往々之れ無きに非らすと雖も我官憲の監視嚴なる爲如何とも術の施すへきなく僅かに餘喘を保ちて山間に幽居せしに過きす即ち彼の黄海道に於ける賊魁金貞安・韓貞萬・蔡應彦の類是なり而して金韓の兩名は我官憲の爲日ならすして討滅せられ蔡は一旦間島に遁入したるも更に歸來して■南・平南・黄海・江原道邊境に出沒し最後の暴勇を振ひたるも是亦遂に我官憲に逮捕せられ部下雜輩は悉く討滅せらるるに至れり


然るに他面