釜山の市民団体、危機に直面した朝鮮学校を支援:2018-11-30 10:33

http://japan.hani.co.kr/arti/politics/32249.html


日本が太平洋戦争を起こした後、多くの朝鮮人が戦争物資の生産のために日本本土に強制的に連れて行かれた。また、飢えに耐えきれず釜山港から船に乗って大韓海峡を渡る朝鮮人も続出した。日本の朝鮮人たちは子どもたちが朝鮮語と文字を忘れないよう、自ら学校を建て子どもたちを教えた。日本の「朝鮮学校」はこうして誕生した


敗戦後、米軍政を経てつくられた日本政府は、1948年に朝鮮学校の閉鎖令を下す。その後も大学入学資格の制限、全国大会出場禁止などの差別的政策を相次いで実施する。日本人の学生が朝鮮学校の女子生徒が制服として着用したチマチョゴリを引き裂くなど、暴力事件が起きても十分に処罰されなかった


2012年に発足した日本の安倍政府は、さらにひどい政策を展開した。朝鮮学校を「高校無償化」の対象から除外したのだ。2010年に導入されたこの制度によって、外国人学校を含む日本のすべての高校生は授業料を免除されるか、1人当たり年間12万円の政府支援金を受けてきたが、当初は対象に含まれていた朝鮮学校の生徒たちをここから排除したのだ


… 中略 …


困難に直面した朝鮮学校を支援するために、釜山の市民たちが手を差し出した。釜山民族芸術人総連合(民芸総)、釜山民主抗争記念事業会、釜山市民サッカー協議会など、釜山の市民団体24団体は12月1日午後4時、釜山中区東光洞(トングァンドン)の釜山映画体験博物館1階の多目的ホールで「朝鮮学校と共にする市民の会」を発足する


市民の会は朝鮮学校と韓国の学校の生徒たちの交流と相互訪問を推進し、運営費と教育機資材の後援、施設補修・再建築支援、在日朝鮮人史記念館の建設、日本政府の朝鮮学校差別政策を知らせる活動など、連帯事業を展開する計画だ。来年2月9日には、北九州の小倉市国際博覧会場で福岡地域の日本人に朝鮮学校の歴史と現在、未来を伝える文化祭も開く


朝鮮学校と共にする市民の会」のイ・ヨンハク共同代表は「強制徴用者たちが船に乗った所が釜山港で、解放後に祖国に戻って来た人々が最も多く定着したところも釜山と慶尚南道だ」とし、「釜山市民が一番先に連帯の手を差し出すことにした」と説明した キム・グァンス記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )