本音のコラム/斎藤美奈子

土井たか子さんが亡くなった. 護憲派のリーダーとして知られる土井さんだけど,功績はそれだけではない. 今年15周年を迎えた男女共同参画社会基本法も土井さんの尽力なくしては成立しなかっただろう


基本法の制定に向けた「三党合意」ができたのは1996年, 橋本龍太郎内閣の頃である. いわゆる自社さ連立内閣の時代であり,閣外協力という形で与党だった社民党の代表が土井たか子氏,新党さきがけの議員団座長が堂本暁子氏だった. 三党は98年に連立を解消するも次の小渕恵三内閣の官房長官だった野中広務氏が三党合意を引き継ぎ,99年6月,基本法は成立した. 思えば与党三党のうち二党のトップが女性という稀有な数年間だった


しかし2000年代に入ると男女平等を目指す運動は大きな反動にさらされる. その急先鋒が現在の安倍晋三首相,そしてもっか在特会との関係が取り沙汰されている山谷えり子拉致担当相だ. 29日の所信表明演説で,首相は相も変わらず「女性が輝く社会」を掲げ「真に改革すべきは社会の意識です」などと言ってるが,何度聞いても「どの口が…」である


93年,細川護熙内閣での衆議院議長就任は実質的な「土井外し」だったと私は思っている. 憲法はあの頃から崖っぷちに立たされたのかもしれない