秦郁彦先生による資料捏造「引用」

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id:Stiffmuscle さんの Stiffmuscleの日記 2007/07/24 どくしょのじかん 6 にでてくる 金一勉『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』(三一書房 初版1976/01/31 手元にあるのは2刷 1976/04/30)の該当箇所(p.244-247)を確認しておく.

=目次=

(0)結論

(1)金一勉『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』全体の構成

(2)トラック島の「慰安婦」の最後/「始末」に関する記述


=(0)結論=

(a) 金一勉『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』のトラック島(の「慰安婦」の最後)に関する記述(p.246-247)は,西口克巳『廓』(西口克巳『廓』東邦出版 1974 『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』巻末参考文献・資料[p.281-284]には"東出版"の誤植2箇所[p.281]あり)からの引用(要約になっている箇所,"……"で省略されている箇所あり).


(b) (2)で示すように『「6,70人」の部分』も引用されており,Stiffmuscleさんが指摘しておられるとおり

もっとも,金一勉はなぜか,「6,70人」の部分は引用していないので,実際にはク報告書の「起草者」は金一勉からではなく,西口の著作から直接に利用したという奇々怪々な話になってしまう

の太字強調箇所は事実に反している.


(c)前提が事実誤認(捏造??)であるから≪ので≫以下≪実際にはク報告書の「起草者」は金一勉からではなく,西口の著作から直接に利用したという奇々怪々な話になってしまう. それは報告書がクマラスワミ本人ではなく,某日本人運動家によって書かれたという風評を裏付けるものかもしれない≫は妄想が暴走してゆく≪奇々怪々な話≫となる.

(1)金一勉『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』全体の目次

I.「日本軍隊の慰安婦」の構造

II.「日本軍隊の慰安婦」の発起

III.対中戦争と朝鮮人慰安婦

    *対中戦争の勃発(39) *南京大虐殺事件(41) *上海の「陸軍慰安所」開設(44) *軍と売春業者の秘密協定(49) *朝鮮における"三光政策"と女狩り(53)

IV.「女子愛国奉仕隊」募集の実態

    *麻酔剤としての「内鮮一体」と「同祖同根」論(60) *「女子愛国奉仕隊」募集(64) *朝鮮の娘達を戦地売春業者の手へ(67) *特殊旅館へ連れ込み色地獄の"特訓"を(69) *軍用列車の貨車に秘して戦地へ(77)

V.日本軍隊と「死の商人」と女と

    *日本軍と「死の商人」たち(80) *「討伐」と強姦(85) * "初年兵教育"と女(89)

VI.慰安所および慰安婦の実態

VII.慰安婦の周辺事情

    *ある部隊長の専属慰安婦(124) *性病と検診(129) *兵隊の慰安婦体験談(132)

VIII.慰安婦の現場事情

    *護身用に「テンノウヘイカ…」(136) *通過部隊のセックス処理(142) *朝鮮人慰安婦日本兵士の葛藤(145) *色地獄の合間の暮し(149) *日本ピー,朝鮮ピー,中国ピーの特色(153) *慰安婦と病気(159)

IX.太平洋戦争と軍隊慰安婦

    *日本国内の蠢き(164) *朝鮮半島における女狩り(176) *太平洋戦争下の中国戦線(184)

X.南方戦線の慰安所

XI.ラバウル将兵と女

XII.敗走軍と慰安婦

XIII「軍隊慰安婦」の変容

あとがき(277)

参考文献・資料(281-284)

トラック島・慰安婦の抹殺措置(p.244-248)

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トラック島・慰安婦の抹殺措置


大根拠地の大きな慰安所のボスたちは,賄賂で結託した基地の主計将校と絶えず連絡をとっていた. かれらの賄賂には三種類の狙いがあった. (1)有利な条件を得るため (2)安価な軍物資を貰い受けるため (3)最悪の状態に備えて情報を得るため,つまりいちはやく逃げ帰るためである. ことに前線では,ただ事ならぬ事態が起こりつつあるだけに,なおさら賄賂は緊要なものとなった. しかし彼らは緊迫する戦況については,オクビにも出そうとしない.


アメリカ軍がマーシャル群島に大空襲を行い,マキン・タラワ両島の玉砕(1943年11月25日),クェゼリン・ルオット両島の玉砕(1944年2月4日)という切迫した危機が迫ったとき,トラック島のピー屋のオヤジは毎日,頻繁に基地の主計本部や司令部へお百度を踏んだという. 日本内地へ送り帰してくれと哀願するためである. うす穢ない根性の彼らは,つい先日までは「軍要員」の腕章をつけて,女たちの前で"愛国"をぶって,これみよがしに振舞ってきて,今度は"非戦闘員"だから日本へ返してくれと催促したのだ. 戦争と兵隊に売春をぶっつけて金儲けに血眼になっていた彼らは生命の危機に対しては極めて敏感であり,卑怯なほど小心翼々と立ち廻った. しかし,太平洋の島々の軍は,彼らの要求どおりに送り帰すはずもなく,次のように繰返したという. <わざわざ運び返すような閑な船が軍にはないというんだ. 女どもには親方のお前から,いざというときの覚悟をよく申し渡しておけ--潔く玉砕するンだ. たかが女郎じゃないか>と.


なかば軍の嚇かし,なかば本音であろう. そこでピー屋のオヤジの猛烈な賄賂の効き目もあって,周辺の情勢が切迫する前に,一部のオヤジと慰安婦だけが,強引に割当てられた輸送船と輸送航空母艦の船底にもぐりこんで引揚げることができた. その第一陣は『朝日丸』で帰国した(昭和18年12月). それは将校用の何軒かの女郎屋のオヤジと抱えの慰安婦であった. つまり,この基地でも普段,主計将校らに賄賂の出し足りなかった女郎屋だけが取り残されたのだ.(しかし,乗船した連中の一部は途中のサイパンに下船させられ,のちに玉砕の巻添えを喰った.)


壊滅的な大空襲が続き,眼玉の青い米兵が上陸すると聞いた日本人慰安婦たちは「うちら,カミソリで咽喉切って死んでしもたる」とつぶやき,ある女はシュミーズ姿で泣き崩れて「バカ,おトウさんのバカー,うちらだまして,こんな所へつれて来たりして」と慰安所のオヤジを口汚く罵った. おなじ慰安婦でも,朝鮮から騙されてきた女たちには,こんな泣き喚きすら洩らせなかったであろう.


トラック島は,アメリカ側では"日本の真珠湾"とか"太平洋のジブラルタル"と呼んだほど日本海軍の太平洋最大の根拠地である. この基地の安全確保をはかるために,開戦直後に日本軍はラバウルまで進んだ. ラバウルをめぐるソロモン海戦(消耗戦)も結局はトラック根拠地を守るためのものだった. トラックは大根拠地だけに,料理屋,慰安所が軒をならべ,第四艦隊の将兵は女体のサービスにひたりきっていた.


そして2月17日午前5時前,米軍機第一次70機がトラックに殺到した. 米軍の爆撃は九波におよび,延べ450機,トラック基地は早朝から夕方まで火と煙に包まれた. 翌2月18日,米機はトラック港上空を乱舞し,逃げまどう艦船をシラミつぶしに沈めた. 二日間の空襲で撃墜された日本機は約300機,ほとんどの艦船は撃破され,貯蔵食料2000トンと1万7000トンの燃料を詰めたタンク3個が炎上し,陸上だけで約600人が死傷した. トラックに近接中の輸送船団は1200人と共に海没した. トラック空襲と同時に,同島の東方にあるエニウエトク島(守備兵力3980)が艦砲射撃を受け,20日米軍が上陸,生存者34人を残して全滅した.


トラック島の天地を轟かす大空襲が始まると,慰安婦たちは裏山のパンの樹の茂みに掘られた防空壕に逃げ込んだ. だが,慰安婦のボスは,賄賂用の紙幣束を抱えて,かなり離れた滑走路へ向けて走りだしたという. そこにはいつでも離陸できるよう爆音を立てた逃走用の中型軍用機が一機,待機していたからである. 嘘八百で女を集めて"お国のため"ぶった女郎屋のオヤジという存在は,臆病にして狐のようにすばやく,根性が汚い. サイレンが鳴りだすと,自分だけは助かろうと必死になって飛行場へかけだし,そこが駄目だと知ると「あ,わしはここで死ぬのか,ああ,あ」と嘆声をあげ,さらに脱走の船を求めて軍港の方へ駆け出す有様である.


2月17日,18日は間断なく猛爆が繰返されたあとに,ついに島全体が炎に包まれた. 空も海も照明弾で青白く輝き,飛行場も要塞も高射砲陣地も,椰子とパンの巨木さえも,すさまじい轟音と共に吹っとび,すべてが燃え上がった. 施設の大半は灰燼に帰した.


慰安所の第一南月寮,第二南月寮,第三南月寮,これらの三軒が薄赤い夜空を背景に,なにか妖花の花の踊りのように炎上した. 女たちは避難防空壕にもぐりこんでいた. 防空壕は現地人を使って掘った,洞穴に近い粗末な構築物だが,100人ほどの女を収容できるほどの大がかりなものだった.


おなじく残存司令部とその兵隊は,辛うじて地下深くの防空壕の中にひそんで芋虫のように生きていた. このとき,軍の参謀と若い将校たちは,慰安婦らを足手まといと考えたらしい. こんどはトラック島が死戦場→玉砕の番と判断したからである. そして女たちを抹消する手段を講じたのだ. このときの模様を,トラック島の慰安婦について詳しく触れている西口克己の『廓』は,次のように描いている.


---引用者注:以下,原文では西口『廓』からの引用部分二文字字下げ---


「その空襲の途切れた合い間に,密命を受けた志田少尉は二名の兵をつれて,女たちの入った洞穴へ近づいていく. <いいか,問答無用だ. 決して言葉をかけてはならんぞ. 黙って始末するんだ. あいつらは素人娘ではなくて商売女だ. 敵が上陸してきたら何をするか知れたものではない---国辱だ. わかったな>


緊張した少尉のささやき声に,二名の兵士は無言でうなずいた. 靴音を忍ばせて壕の入口に接近した少尉は,もう一度軽機をかまえ直した後,するどく笛[笛→西口『廓』では口笛]を吹いた. 壕の内部に果たして女たちがいるかいなか確かめるためだった. 壕はしーんとしていた. つづいてもう一度,今度は低く,君が代を吹いた. 突然,それまで何の反応もなかった壕の中から,獣の悲鳴にも似た異様なすすり泣きが一せいにわき起こったかとおもうと,暗闇にもそれと判る防空頭巾を被った5,6人の女たちがバラバラと取り乱した姿で入口からとび出してきた. ダダダダ,ダダ--間髪を入れず,少尉の軽機が火を噴いた. ほとんど叫び声を上げる暇もなく,女たちはキリキリと体をもむような姿勢で,地面へぶっ倒れてしまった. 同時に,少尉も兵も,猛烈な勢いで壕の入口へ突進し,次の女が飛び出してくる前に,真暗な洞穴の内部へ向けて,盲滅法な機銃掃射を加えていた. 洞穴に反響して耳を聾するばかりの凄まじい銃弾の響きにまじって,とぎれとぎれの鋭い悲鳴や,うめき声がしばらくつづき,やがて気狂いのように撃ちまくっていた少尉がようやく引き金を止めたとき--ガランとした壕の内部には……文字どおり死の沈黙がしーんと凍りついたように立ちこめていた.


それでももだ用心深く,ものの2,3分間もジッときき耳を立てていた少尉は,このときになって初めて用意していた懐中電灯で素早く壕の内部を照らし出してみた.……露出した土壁にヤモリのようにへばりついて血しぶきを上げている女,荒削りのパンの木の支柱にすがりついたままガックリと首を折っている女,やや離れて一かたまりの肉布団のように折り重なって死んでいる女,抱き合ったまま死んでいる女,丸太ン棒のように転がっている女--およそざっと照らしただけでも, 6,70人もの女たちが完全に事切れて血まみれの姿で死んでいた. しかも,ふと少尉が気づいたことには,それらのすでに死骸となった女の何人かの片手に顔剃り用のカミソリがしっかりと握りしめられていたのだった. こうした種類の商売女にとっての唯一の武器ともいうべきその小さなカミソリは,……あちこちに投げ出されていた. <よし,任務完了,[西口『廓』原文では,ここに,"ははは"]こんどは俺たちの死ぬ番だ,引き揚げろ>[西口『廓』原文では,ここに,"昂然と"]いい捨てて[西口『廓』では"いい捨てた"]少尉と二名の兵士は駆け戻って行った.」


--引用者注:西口『廓』からの引用終り--


だが,トラック島に,予期された米軍の上陸作戦はなく(同時に"玉砕"という名の悲劇もなく)素通りする形になった. トラック島の慰安婦の悲劇は,決してこの島に限ったものではない. いたるところの島の女たちが,この種の仕打ちに遭わされたのは確かである.[ここまでp.247]


トラック島から,いちはやく日本へ引揚げてきた慰安所経営のボスらは,女たちの人命は念頭に置かず自己の金銭欲から絶えず嘆いたとか. <わしはトラック島じゅうゲンくそ悪い島へ,一生かかって貯めこんだ銭を捨てに行って来たようなもンや>と. これが彼らの,よだれまじりの愚痴だったそうである.


米軍はトラック島を素通りして「サイパン」を襲ったがサイパン島での女の悲劇について一言触れておく.


サイパン島では,米軍が上陸し,残存日本軍が最後の斬込みに突入する前に,日本婦女子の多くは"入水自殺"を遂げた. 入水自殺とは,サンゴ礁の水際に,あたかも水浴でもするかのように黒髪を後ろに垂らして深い方に進んで海中に没していく. そこには子供を抱いた母親,うら若い娘,おかっぱの少女も混じっていたという. 米軍に捕われて辱しめを受けるよりは,死を選んだものである. これは,日本軍隊の戦地における婦女強姦の,自己投影ともいうべき行為である. それは直接または間接的に日本軍から強いられたともいえる. この入水自殺は数日も続き,その姿を沖に碇泊する米軍が写真に撮って『ライフ』誌に掲載し,日本人の集団自殺を珍しいニュースとしてアメリカ全土に流布した.


ルソン島・死の山中彷徨


[以下,省略]【出典:金一勉『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』(三一書房 初版1976/01/31 2刷 1976/04/30)p.244-248】
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To Do & 参考図書

宿題:

*西口『廓』記述との対照確認(東邦出版社版にはまえがきもあとがきもないため,フィクションなのかノンフィクションなのか書かれてはいない. 全集版も調べる必要あり)

*トラック島の「慰安婦」「始末」に関する他の証言・記述を捜す



トラック島関連図書(近所の図書館の検索結果,利用できそうな本など,とりあえず『完本・太平洋戦争 下』=金子兜太「孤独の島・トラック島に生きて」を所収=と西口克己『廓』,窪田精『トラック島日誌』の3冊を借りてきた).

  • 創価学会青年部反戦出版委員会『飢えと炎の島-トラック島 長野県出征兵士の記録【戦争を知らない世代へ 56 長野編】』(第三文明社 1979)(輸送船への攻撃,空襲,飢えに関する手記が繰り返される. ざっと読んだ限りでは「慰安婦」「慰安所」は出てこない)
  • 窪田精『トラック島日誌』(光和堂 1983/08/25) isbn:4875380623 (囚人部隊のひとりであった著者の自伝的小説,囚人部隊だと慰安所と関係ないかと読み始めたら,冒頭,輸送船の中で慰安婦たちが登場-ほかにも軍の物資を横流し慰安婦」とやり取りする場面など-きちんと読む必要ありそう)
  • 金子 兜太「孤独の島・トラック島に生きて」(初出:『文藝春秋』1969/1月号 原題:「孤独の島・沈黙の戦記」)『完本・太平洋戦争 下』p.22-35(文藝春秋社 1991) isbn:4163459308 施設部工員専用の慰安所 南国寮がでてくる(p.26,27). またp.30に1944年≪五月半ば頃だったか,ラバウルから潜水艦で慰安婦が送られてきた. 内地に引揚げる途中の立寄りというふれこみだったが,到着すると直ぐ商売をはじめたところをみると,はじめから,女子のいなくなったトラック島に潤いを与えるのが目的だったようだ≫[引用者注:"ふれこみ"と"潤い"に傍点強調/次に引用する山田盟子によれば1944年2月に「壕内の慰安婦がまとめ殺しにあった」その後5月にも「慰安婦が送られてきた」]の記述あり.
  • 山田盟子『慰安婦たちの太平洋戦争 秘められた女たちの戦記』(光人社 1991/09/29) isbn:4769805772 おび≪陸軍は慰安婦,海軍は特要員-存在も,生死も,闇のなかに閉ざされたままの女たちを追いつづけ,現地取材を重ねた執念の紙碑!/その数20万/慰安婦といわれた幻の女たち≫,終章:ある慰安婦の叫び では「嗚呼従軍慰安婦」の碑が建てられたときに会いに行ってのやり取りが次のように書かれている. 西口克己『廓』より詳しい部分があるので以下に引用しておく.

「あなたが碑を建てて下さってありがとう. 私もおまいりさせていただきました. ひょっとしてあなたはパラオの前にいたトラック島で,昭和19年2月17日,18日の激しい空爆後,ある壕内の慰安婦がまとめ殺しにあった事実を知っていたのですか


「そ,そのこと……ほんとうですか」せわしく空を裂く眼づかいで,彼女は問いかけた.


「現地司令部から,殺しの命令を受けたのはS少尉です. 二人の兵に女たちは娼婦なのだと,それに島の玉砕に女たちは足手まといになるし,上陸する米軍に知られては恥だとか,そのような考えを示したようでした. 殺された女は関西の慰安婦です. 少尉たちの機銃で死んだ女たちは,申しあわせたように,カミソリを握っていたようです」


海軍の南交社と関西八遊郭で組織された三立会とで組まれた女たちは,平陽丸でトラック島に送られたのである. 私は西口克己の『廓』で描かれた慰安婦を語った. 彼女は急に身をよじった. その暗い過去を語る細いひからびた手が,拳になって空におどった.


「あたし!兵隊は女を殺すと思ったわ!」


唇をわなつかせて彼女は叫んだのだ. 大声をききつけたシスターは,あわてて彼女を乗せた手押し車にとびつくなり,私に面会終了をつげた.


彼女の叫びは信仰で得た去私の座を,かなぐり捨てた怨言であった. その激しい叫びは彼女の信ずるカミなるゆるしとは違っていた. 彼女のほとばしらせた怨言に,私のなかで燃えだすものがあった.


やはり兵を相手の慰安婦渡世は,虐げられた苦界であるのを,彼女は知っているのだと思った. なみの慰安婦は軍権者にとって,獣なみの存在でしかなかったこともである.【出典:山田盟子『慰安婦たちの太平洋戦争 秘められた女たちの戦記』p.284-285[一部,改行を省略した]】

  • 平塚柾緒[編] 太平洋戦争研究会[著]『知られざる証言者たち 兵士の告白』(新人物往来社 2007/08/10) isbn:9784404034908週刊アサヒ芸能』1971年連載記事「ドキュメント太平洋戦争」の抜粋 第5章「戦場に生きる女たち」(p.283-354)のうちp.339-353「戦場の芸者・菊丸」の証言にトラック島の兵隊用慰安所:第一南月寮,第二南月寮の名前がでる(p.344) *1.
  • 明治大正昭和新聞研究会/編集製作『新聞集成昭和編年史 昭和19年版1 トラック島大空襲』(新聞資料出版 1996/02)

*1:西口克己『廓』p.328に「丘の上に兵隊用の第一南月寮,第二南月寮,トラック荘といった工合に点々と並んでいた」とある

2007年参議院選挙自民党惨敗はNHKの陰謀だった

日本会議地方議員の会blog 2007/07/26 公共放送の仮面をかぶるNHKの欺瞞(筆者は敗戦時中学1年生だった大谷氏)*1[魚拓]

公安の情報ではNHKの内部には相当数の共産党員がおり,その数は朝日新聞よりも多いと聞くと,明確な証拠があるわけではないがなるほどと思ってしまう.

筆者も敗戦時中学1年生であったが,米軍が侵行してきた時,軍の命令などとは関係なく,女子供は辱めを受けるより自決するのが当然であるという雰囲気だったことを思い出す.

女子供は≪自決するのが当然≫だったら≪敗戦時中学1年生であった≫大谷氏はなんで自決しなかったのだろうか?口先だけは勇ましい被害妄想家を笑へ!岩波書店大江健三郎名誉毀損裁判の原告たちにも同じことを聞いてみたい.


 

*1:地方議員の会会員では ないようだ