出典
『國史大辞典第7巻』p.702
女子挺身隊
太平洋戦争後期に行われた女子の勤労動員をさす. 戦争による労働力の不足を埋めるために女子の徴用は昭和14年(1939)ごろから考慮され種種調査もされていたが家族制度下の家の精神にもとるため実現がのばされていた. 18年2月厚生大臣小泉親彦が「女子の徴用不必要」と言明しながら(1943年)4月「女子勤労動員促進」が閣議決定され9月17職種(事務補助から鉄道出札係・車掌まで)の男子就業が禁止され,未婚女子の組織化が立案され宣伝が行われた. 東条英機首相は「勤労を逃げる有閑娘, 婦道に恥じよ」と発言し,ついに19年(1944年)1月19日, 女子挺身隊が結成された. (1944年)3月挺身隊制度強化の要綱が発表され,地域,職域,学校別に隊が組織され,さらに8月これらを義務化する法制が定まり(女子挺身勤労令)20歳から40歳の未婚女子の職場進出が強制された,しかし「家庭の根軸たる者を除」くとされ動員ははかどらず,作業の事故も多く効果はあがらなかった. 終戦時の隊員数は47万とされている
【参考文献】
□三井礼子編『現代婦人運動史年表』
□丸岡秀子他編『日本婦人問題資料集成』
【執筆】 井手 文子
【関連用語】朝鮮人強制連行問題, 勤労動員, 学徒勤労動員
関連図書
戦時下勤労動員少女の会『記録-少女たちの勤労動員/女子学徒・挺身隊勤労動員の実態』BOC出版部,1997/06/25
福島菊次郎『証言と遺言』p.29 ある女子挺身隊員の死 DAYS JAPAN,2013/03/04
斉藤勉『新聞にみる東京都女子挺身隊の記録』のんぶる社,1997/08/10
いのうえせつこ『女子挺身隊の記録』新評論,1998/07/20
女子挺身隊の歌
歌詞…西条八十
作曲…古関裕而
輝く黒髪 http://m.youtube.com/watch?v=GhCaiO1pwvs&fulldescription=1
桜花に誓う http://m.youtube.com/watch?v=pgdXDYRFE74&fulldescription=1
【1】
なびく黒髪きりりと結び
今朝も朗に朝露踏んで
行けば迎える友の歌
ああ愛国の血は燃える
我等乙女の挺身隊
【2】
撃てど払えど数増す敵機
北も南も無念の歯噛み
勇士想えば胸痛む
ああ愛国の血は燃える
我等乙女の挺身隊
【3】
可愛い工具にほほすり寄せて
花のいのちも姿も要らぬ
早く翼を送りたい
ああ愛国の血は燃える
我等乙女の挺身隊
【4】
積んだ増産にふんり迎ぎ
窓の夕日に手を取交し
明日の努力と又誓う
ああ愛国の血は燃える
我等乙女の挺身隊
いのうえせつこ『女子挺身隊の記録』p.215 p.224