宮本百合子「今日の日本の文化問題」

宮本百合子「今日の日本の文化問題」(日本太平洋問題調査会の依頼により1948/02/14口述開始,4/1完成)は次の構成からなり,最後の国定歴史教科書『くにのあゆみ』については【III】教育中「教科書の問題」項,2頁弱の項目で扱われる


序論 三つの段階


【I】新聞,通信,ラジオ / 出版 / 雑誌 / 書籍


【II】教育(概説,選挙と教育者,教科書の問題,学生生活の危機,幼稚園教育,成人教育) / 国字,国語 / 宗教 / 科学


【III】文学 / 映画,演劇 音楽 / 舞踊 / 美術 / スポーツ / 文化組織 / 国際文化組織


序論では敗戦から1948年春までをI.1945/8/15-1946/3 II.1946/4-1947/3 III.1947/4-1948/3 3つの時期に区分しIIの時期について次のように述べる

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[1946年]正月に天皇が「元旦詔書」発表,絶対主権者として己に附されていた神性を自ら否定し,所謂シムボルとしての天皇の性格を明らかにした. このことは日本の民主化の発展に対して旧権力が発明した一つの狡猾な政治的ゼスチュアであった…ポツダム宣言の正直な履行,日本の民主化と平和のために,反動の伝統的温床となる天皇制は廃止さるべきであるという見解は協力な国内の民主的輿論の一面であった…畸形的な民主化憲法が討論されている間に,天皇は自身と旧勢力のための選挙運動を始めた. 東京都下他各地方への巡幸[1946/2 神奈川 3/1 東京旧市内]を始め…ポツダム宣言受諾後初めての総選挙[1946年4月10日第22回総選挙=共産党5人,婦人39人が当選]で,保守的政党の全てが


□主食の配給改善


□インフレーション防止


天皇制護持


を掲げ…きわめて短時間に,日本の民主化の純粋性は失われ始めた


…以下略…

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『宮本百合子全集 16巻 文化・社会評論 1945-1951』新日本出版社,1980/06/20[古い全集] p.245-p.246 初出:季刊『思想と科学』臨時増刊号1949/01/

今日の日本の文化問題(抄)

教育/教科書の問題



軍国主義的なそして絶対主義的な教育の中心となっていた日本歴史教科書がまず改正され『くにのあゆみ』が新しく編纂発行された(19471946年310月[*1]). この『くにのあゆみ』は真面目に研究批判されなければならない種類の教科書である. 何故なら従来の軍国調と絶対主義を捨てるように見せながら,あらゆる歴史上のテーマの扱い方の底にやはり過去の思想を保存しようとしているからである. この傾向は1947年以来日本民主化の全面に表れた注目すべき特徴である[*2][*3]. 例えば『くにのあゆみ』で日本の建国神話を科学的な事実として認められないといいながら「つまり神話は歴史をつくるもとの力になっている」と実例抜きに結論している. この部分は東京文理大の和歌森太郎助教授が書いたものである. また日本の社会発展の全期間を通じて勤労階級のおかれていた生産事情の現実,身分関係,隷属と反抗などの現実がとらえられていない. 支配的な権力と人民との一致しまた相反する利害の関係も描かれていない. すべての事件が非常に表面的になめらかに扱われている. まるで春,草が芽生えて悪天候に害されもせず伸びていくような筆致で歴史が書かれている


軍国主義精神を歴史観から排除するということは一つの国の社会発展の歴史の現実をゆがめて対立や矛盾の無かったような作り話をすることではない. 人民の生活の消長について現実的な記録を支えない民主主義教育というものは存在しないわけである.『くにのあゆみ』が一般識者達から批判をうけはじめたとき,文部省関係者の間には次のようなデマゴギーが行われた.『くにのあゆみ』はGHQで承認された唯一の歴史教科書であるからそれを批判することは許されない,と[*4]. これは事実と違っている. 文部省は『くにのあゆみ』をつかって新しい歴史教育をするのだといっている. 『くにのあゆみ』を教えるとはいっていない. 歴史教科書は早い機会に改訂される必要がある


対日理事会において中国代表が『くにのあゆみ』について1929年以来の日本軍部の満洲中国への侵略を欺瞞的な満洲事変,中日事変などという項目で扱っていることについて抗議した.『くにのあゆみ』において満洲事変以降の取扱いは虚偽的なほど皮相に扱われている.「軍部の力が政治や経済の上にはびこって5.15事件や2.26事件がつづき」その結果東洋の平和が乱れたというふうに書かれている. しかし現実はこのように簡単でないことは世界周知の事実である. 明治以来侵略的な軍事力で資本主義を保ってきた日本の悲劇は上述のような説明では片づかない. 平和を愛する情熱を若い世代がその感情の中に持つために『くにのあゆみ』は民主的人民生活の発酵力を全く欠いている


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*1:宮本百合子さん勘違いしているらしいので訂正した

*2:「この傾向」は敗戦以前から天皇統治権力=「国体護持」勢力が追究してきた傾向であろう,低姿勢と高姿勢の波はあるが…詳しくは服部之総天皇ファシズムの崩壊過程」『服部之総著作集 7 大日本帝国』(解説:藤井松一)理論社,1955/11/15 p.298-p.327

*3:渡辺治の論考「戦後国民統合の変容と象徴天皇制」(歴史学研究会・日本史研究会『日本史講座 10 戦後日本論』東京大学出版会,2005/07/20),「日本国憲法運用史序説」(樋口陽一編『講座憲法学 1 憲法憲法学』日本評論社,1995/04/30,)辺りがお薦めかにゃ

*4:井上清『くにのあゆみ批判/正しい日本歴史』まえがきに【「くにのあゆみ」について重大な誤解またはデマがひろがつている.「くにのあゆみ」は連合軍司令部に許可された唯一の教科書であり,これ以外のものをつかつてはならない,という真実のことから,さらに飛躍して,故にこれを批判してはならない,というのである/それは全くあやまりである. そんなことはない. もとより自由を殺してもよい自由などないから,反民主的な,軍国主義や過激国家主義まは[ママ]神秘主義で「くにのあゆみ」を批判したり解釈したりおぎなつたりすることは絶対にゆるされない. しかし民主的な正しい学問や教育の立場でこれを自由に批判検討することは,民主教育の原則からしてもいつこうにさしつかえないばかりか,しようれいされねばならない/「くにのあゆみ」の編者の一人岡田章雄氏は雑誌『朝日評論』の同書研究会-それには私も参加した-で明言した. 「文部省はこの教科書で,教えようというので,この教科書を教えよとは言つていない」と. この教科書を材料にしながら正しい歴史を教えることはまつたく自由である. 同じ会に出た編者の一人大久保利謙氏もそう言つている(『朝日評論』vol.2,No.3)】とある. 【重大な誤解またはデマ】の出所は特定せず,岡田章雄(文部省)に「誤解またはデマ」を否定させている