早尾乕雄「戰場心理の研究/総論 第8章 戰争と性慾」【1938/5月】

戰場心理の研究 総論

第八章 戰争と性慾

今次変[事変?ママ]に於て目立つた軍部の副業の一つに慰安所なるものがあつた. 其の数は夥しきもので津々浦々迄行き届いたものである. 如此将兵の性慾の吐け場所を何人が考へ出したかと其の経営者に問ふたところ現文相荒木大将閣下なりと答えた. 大将が即ち立案者であり亦元締であるといふ. 故に賣笑婦といえども是れ軍婦なりといふ. 軍が汽車船舶自動車の世話をなし戦地へ着けは出迎えを受け其の保護のもとに動き軍より与えられた家に生活をしてる. そして御客は将兵と限られてある. 将校慰安所下士官以下の慰安所と畫然と区別せられて設けられてある. 其の設置に当る者は本科の将校で少尉から少佐級位の人が是にあたり女を選ぶ商賣に適不適を決定する者は軍医である. 慰安所によつては樓主にあたり或は牛太郎の様な者も附いて居り其等が相当に手広く縄張りを持つて居る(例え上海)従つて其の収入も一時は巨額に上り一ヶ月一萬円の純益を見てるが如きもあると言はれた. 女は約一年も辛棒すれば凡千円の金を懐にして自由の身となりて國へかへり得る様になつているとの話を聞いたことがある. 其の代り客を取る数も多いのは一日に四五十人に達するのもあるといふ. 実際将兵の数に比較すれば賣笑婦の数は微々たるものであつて到底兵の要求通りに応じ兼ねる. 賣笑婦は日本支那朝鮮の三種になつて居る. 如此女の数は確実の所は不明であるが中支だけで五六千人位と思はれる. 何のために軍監督の下に賣笑婦軍が渡支し来つたか. 恐らく戦線に立つ将兵が一度休戦状態になつた時に爆発する性慾の発散場所を与へたのであろう. 然らざれば将兵の気は益々荒くなり支那婦人を姦することも起こるであろうし酒の上の傷害沙汰も起こるだろう. 将兵の気持ちを和げるには女を用ふるが最上策と考へたのにあると思ふ


北支某地にては更に進んだ方法が講ぜられた. 支那女学生と契約して将校に限り其の「アパート」に通はしめ御互に利益交換の道を開きしと. 即学費の道絶え生活の資を失つた女学生の救済法となり将校は語学勉強の傍ら安全なる生理的要求の満足を得たわけである. 中支には何処に行くとも如此女性は得難いので悉く賣笑婦である. 此の慰安所設置は将兵の精神緩和には少からず役に立つたが花柳病は是が為めに増加した. 休戦状態間に尤も目立つた産物は犯罪行為と花柳病患者であつた. 犯罪行為中性慾に関係あるものは強姦若くは変態性慾的行為である. 慰安所の女は決して完全な身体ではなく其の既に有する性病の重きを除き或は休業させるだけで無病といふのは殆どなく亦在つても忽ち多くの客らとる間に感染をしてる. 将校へ供給する女は比較的病軽く兵へ供給する女は相当に疾病の顕著なる者も止むなく勤めさせるといふ取扱ひ方である. 女の数が兵の需要に應じ兼ぬると共に幾人かは病の為に使用に堪へぬ様になり益々兵を満足せしむる上に困難な状態である. 慰安所にて足らざる故に自ら兵は支那婦人へ向ひ安價に目的を達する道を選ぶ. 是が殆んど性病を持つて居る. 生活に困つた下層級の支那婦人は自ら街頭に出て身を賣る様になり十銭二十銭で兵隊を対手にする様になつた. 小さき包を背に負ひ何処の空家でも利用する. 遠慮なく宿舎へとやつて来る. 慰安所は兵は一円乃至二円(三十分間)将校五円位の定りであつた. 兵の俸給に対して二円は高過ぎると言ひつつ支那婦人へと変る傾向があらはれた. 是ばかりでなく遂には脅迫して只で支那婦人を冒す者もあらわれて来た. 例え農家に侵入し亭主を監視し其の妻を姦するといふやり方である. 支那婦人に向ふ様になつたのは一つは日本人朝鮮人の賣笑婦より性病を受くることを恐れるのと亦一種の好奇心から強き興奮を味はんとする目的とするものと考へられる


女気のなかつたときにはたとへ片輪者でも如何なる醜婦でも老婆でも左程と考へなかつた状態であつたが次第に支那人が帰り来り其の中に若き女の居るのを見た時は非常な誘惑になつたと考へるのが当然である. 是がために思ひも寄らぬ犯罪に陥る者も出来た. 惜むべきことである


然るに慰安所は軍では持ちきれなくなつて来た. 亦支那婦人は次第に解雇する方進[ママ]となり部隊の前方移動と共に閉鎖されて行くのもある. 上海の如きは他に澤山のぬけ道があるから漸次不必要となる訳である. 然らば女軍は何處へ行くだろうか. 彼等は次第に前進をして行く. 揚子江の船で上がつて行く. そして前線にある将兵の需要に應ずるのである. 或る女衒の談話の中にあつた. 部隊の行進すると共に女軍も「トラック」[*1]で進む. 是が兵の慰安となり鼓舞ともなり女の中には戀人を慕ひ行く心持の者もあると. 而も花柳病患者は前線より送らるる中に多きを見るとは皮肉な現象と言はねばならぬ


余は兵について問ふた. 何故に防具を使用せぬかと. 彼等は悉く「持つては行くが酒に酔ふうちにそんなことは忘れて了つたり平気だといふ心持になる」と. 中には女の方が病気もないのに防具を使用する必要はないと忌避する場合もあり或は自然の感覚を阻害するからとの理由もある. 大多数は酒の勢で感染を怖れぬといふにあると考へられる. 亦一度罹りたる者が再々くり返すといふ例が多いが是は無頓着になる結果であろうが余が検した例には感染入院し治ると共に二度と賣笑婦には触れまいと固く決心し却つて路傍の支那婦人に誘惑を感し是を姦した兵があつた. 是も飲酒の上の暴行である. 或は慰安所の女に通ふ時がないため用弁外出の時に支那民家へ侵入して脅迫のもとに若き女を輪姦した例もあつた


結局性慾の問題は戦場に限らず男性が異性との接触の機会を遮断せらるることから起る以上は其の自由を与へられし時に於て飢餓せる者の食を貪る如く性慾を満す為には方法を選ばぬ現象を示すのが普通かも知れない. 此處に娼妓の必要も存し「ストリートガール」の出現も許さるるのであろう. 与へられざれば強姦をやつても差支えないではないか. そんな事は見逃して置けば良いと言ふ人も少くない. 日本人は餘りに潔癖過ぎていけない. 西洋人の如くに野合をなし居るを知つても横を向ひて知らぬ顔を通して行けば善いではないか. 彼等は必要があつての行為なんだからと言ふ人もある. 余は是に絶対に賛成しない. 亡び行かんとする國では是を抑へる力がないのである. 日本の如き振興に向かふ國では断じて如此行為を見逃してはならぬ. 決して潔癖なるが故でなく國民教育上ゆるせぬものと解釋すべきである


上海事変の時には女の乳首のみ切り取り紙に包みて持ち歩きたる兵があつたと聞いた. 今度の事変には女が逃げて居らなかつたからこんな例はなかつたと思ふ


性慾は抑へ難きが普通であろう. 然し半歳や一ヶ年是を抑へられぬことはない. 禁慾生活の所へ若き女を見せらるる事は誘惑となるのが当然である. 然し誘惑に勝てぬことはない


或る要人は将校はすべからく酒を慎み行を正しくすべきだ. 故に禁酒禁慾を以て範を兵に示しては如何と. 此の言葉は今事変の裏面に向つては至言である. 日本軍の強いのは兵に中心点がある. 休戦間はありとあらゆる不始鱈があつてもいざ戦となると別人の如く強い. 是は世界に例がないであろう. 反之兵の模範となるべき将校が極めて素行が悪い. 是を改めて兵をして常に規律あらしめたならば更に日本軍の声價は挙るだろうと同要人は評された. 亦今事変に於て教育の高き者は将兵共に概して成績が宜しい. 依つて将来は更に教育の徹底を必要とするの意見も出た. 強くばかりあつて如何に廣く敵地を占據しても将兵が良民の反感を買う行為があつては宣撫の努力も無効である. 就中敵の婦女を冒す行為は最も目立つて宜しくないことである


余が所属班が船舶輸送に際し部隊と共に数十名の慰安所の女を乗せて揚子江を上がつたことがある. 部隊長は輸送指揮官の権限なりと言ひて此の女を将兵に分配して毎夜酒宴をなし且各自に其の女を屋に呼んで楽んだことがある. 対手がどうせ賣笑婦だから一向構はないではないかと言ふ人もあろうが軍人の品格上将兵から先に立つて如此事は謹んで欲しい


慰安所へ行くことは時間外でも差支なく許可する. 而も公用書を持つて行けと命令が出てる. 是は極る可笑しなことだと言ふ者が多かつた. 妙なものでこう出られると却つて行かなくなる. 外出を馬鹿に厳にして置きながら慰安所行には絶対の自由を与へることは心ある兵は馬鹿にされた感が深く当局の親切過ぎた手段はむしろ滑稽に眺め俺達は決して性慾ばかりで生きてるものではないと言ふて居つた






*1:【女学生の「アパート」】【女軍の「トラック」】の「」は軍が便宜を図っていることを指すのだろう