出典

佐野眞『巨怪伝 上』文春文庫 さ/11/3 p.103 - p.105 より 孫引き(要旨) 佐野眞『巨怪伝』の記載 が何に基づくかは不明 石井光次郎『回想八十八年』カルチャー出版社,1976/12/10 p.286 - p.305「V. 朝日新聞社時代」→「関東大震災に遭遇」のうち p.290(帝国ホテルを借りる) - p.291(下村海南専務の指摘)から引用している [*1] 「□□の暴行暴動 爆弾投擲」等の情報の真偽について正力自身の判断は揺れ続けるが[*2] 民衆の食糧不足への不安・不満が米騒動を再来させることを最大の危機と捉え「□□来襲」を信じ込んだ 1日夜時点の官憲 軍警察は積極的に「流言蜚語」を広報した[*3]

*1:国会図書館憲政資料室 石井光次郎文書 http://rnavi.ndl.go.jp/kensei/entry/ishiimitsujirou.php 168点の内のどれか 先ずは日記を当たるべきか → 千葉市中央図書館にて「石井光次郎」検索しめっけた 佐野眞は 石井光次郎『回想八十八年』カルチャー出版社,1976/12/10 p.290-p.291から引用している

*2:正力松太郎自伝『悪戦苦闘』および正力松太郎米騒動や大震災の思い出」=『歴史の真実 関東大震災朝鮮人虐殺』p.235-p.238 警視庁第一会議室での都民決戦体制指導取締にあたる各警察署の警部・警部補500名への講演記録=1944/1/11=

*3:流言蜚語の「震源地」については諸説ある= 自然発生説 と 官憲が流した説(姜徳相) =が「□□の暴動・来襲」が各地で同時多発で叫びだされたこと・警察の掲示や広報等 流布に官憲が積極的に関わったことについては研究者間に見解の対立は無い

佐野眞『巨怪伝』「虐殺と伝令」から(要旨)

東京朝日新聞本社(現在の銀座6丁目)は倒壊を免れたものの 大火のため 一日夜に 帝国ホテルへ臨時編集部を移す


食糧が無いので 石井はかつての同僚 正力松太郎 から食糧を手に入れるよう「あそこには食い物と飲物が集まっているに違いないから持てるだけ貰ってこい」と部下に命ずる


食糧を抱えて戻った部下は正力の言葉を伝える


正力「朝鮮人地震の起こる九月一日に向けて謀反の計画を立てていたという噂があるから 各自 気をつけろ 記者が回る時にも 触れ回ってくれ」


朝日新聞専務 下村海南が「其の話は何処から出たんだ?」


使い走りの部下「警視庁の正力さんです」


下村「それはおかしい」「九月一日の地震を予想出来た者は一人もいない 予期していればこんなことにはならない 朝鮮人が九月一日の地震を予知してその時暴動を起こすことを企むわけがない そんな流言蜚語を喋ってはいかん」


普段から朝鮮・台湾問題を勉強し研究し経験豊かな下村の信念に[*1] 警視庁の言うことだからと「朝鮮人謀反」説を信じかけた石井は 自分を恥じる

*1:台湾問題・朝鮮問題以前の 地震予知技術の常識理解の問題だろうね