1964-05-01から1ヶ月間の記事一覧

だまって見ていられないと妻が

この[1953]年の12月22日第二審判決がありました. 私は1954年結婚しましたが,その翌年1955年6月3日三鷹事件最高裁判決の際に従組ニュースに次のように書いた「…家に帰ると妻が,三鷹事件の判決が出たね,ひどいね. という話をすぐ話しかけてきた. 彼女もひどく…

二階堂園子さんが来て

私が1952年8月に宮崎に転勤した以降に「松川」とかかわりをもったのだと思います 保釈になった二階堂園子さんがきたとき,早朝でしたか,職場に招いて話をうかがったこと,二階堂武夫さんからの返事の手紙を職場で回覧のあと従組機関紙にのせたことなどが,始ま…

だが,耐えねばならぬ時がある

6月16日の日記「5月の終りから6月のはじめにかけては,僕にとって大きな苦しみを経験した期間であった. 僕はこの期間に本当に「耐える」ということを僕は僕なりに覚えた. …6月4日に参議院の選挙があった. そしてあのような結果だった. 6月6日,共産党中央委員2…

なごや松川守る会『松川の火だね』から

「松川」と私・妻・長男と 石川利夫 「松川事件」に関心を抱いてきたのは,比較的に古かったような気がしますが「松川運動」に私が参加したのは,そう早い方ではありません あの1949年頃からの私自身をふりかえって,「松川」とのかかわりあいをしっかりたしか…

下書

当時殆どの被告が宮城拘置所にいたのですから,私の職場でも松川のことを皆よく知っているのだろうと思っていたのですが,そうでなくてがっかりしました その年の12月下旬のある日曜日,東京千代田の守る会の人たちが,獄中被告面会にきたとき,宮城松対協でその…